手越 きつかったですよ…。こういう性格なんで、サッカーやろうが、学級委員長やろうが、今まで何をやっても一番目立つ存在だったんです。クラスの人気者みたいな感じで。
それが、グループの中では年下で、芸能の仕事も経験が浅くて、人気も知名度も一番下で。僕よりはるかに数年先輩と組まされるわけじゃないですか。もちろん、デビューできたのは嬉しかったですよ。嬉しかったけど、最初はかなりきつかったです。
――デビュー当時は、山下智久さんや、錦戸亮さんがセンターにいることが多かったと思います。自分が前に出たいとか、嫉妬のような感情はありましたか?
手越 負けず嫌いだから、絶対いつか追い抜いてやろうとか、自分のストロングポイントを出して、アピールしなきゃっていう思いはあったけど…。でも単純にカッコよかったので、そんな気持ちはありませんでした。
――おふたりが。
手越 まだイモっぽい僕と、当時からキラキラしてた(山下)Pさまとか(錦戸)亮くんを見て、「カッコよ~!」って、思ってました(笑)。そりゃそうですよね。既にジュニアで洗練された人たちと、まだ僕はね、アイドルのライブとか、ハチマキ巻いて行っていた時代だから。そんなイモっぽい僕と、そりゃ無理ですよね。
――(笑)。しかも、NEWSは結成当時9人でしたが、個性が強いと思われる9人の集まりは、グループとしてまとまりましたか…?
手越 たとえば、サッカーのエースストライカー級が11人いて、勝てるのかというと、それはまた別なので。やっぱりグループとかチームって役割があるし。今考えてみると、すげーチームでしたよね。
――ライブやツアーの話し合いなど、色々な意見が出そうです。
手越 だから当時僕、全く発言しなかったです。人数が多い時代は、ライブでもほぼ喋ってないですよ。4人になってから、喋るようになりましたけど。
撮影=杉山拓也/文藝春秋
INFORMATION
4月12日から全国ツアーが行なわれます。詳細はHPをご覧ください。
https://yuyategoshi.com/
「ジャニーズをやめて“魔法”が解けてしまった」独立直後、手越祐也(35)が味わった“四面楚歌” へ続く
2023.04.13(木)
文=松永 怜