「ううん、ない」
と、高峰はおもむろに語り始めた、
「昔、中国でね、一人の男の子が親に売られるんだよ。すると人買いが『この子の指は六本あるじゃないか』って値切ろうとした。するとその親は子供の手を台の上に置いたかと思うと、やおら傍にあったナタをつかんで、パーンっと子供の指を一本切り落とすんだよ」
キャー。私は心の中で叫んだ。
「やがてその子は年上の少年と知り合って、おニイちゃんとも慕って成長していくんだけど、そのおニイちゃんのことが好きになる(中略)でもおニイちゃんはある女の人を好きになってね。それを知った主人公の青年は、最後、剣を持って踊りながら、クッ、と自分の喉をかっ切る。いい映画だから観てごらん」
み、観てごらんって……。私は身体が固まっていた。
それを語っている時の高峰の眼。喉をかっ切ると言った時の、龍のようなその眼! 仕草、声音……。私は一瞬も高峰の顔から目が離せず、物語を“観て”いた。
帰国後、ビデオを借りてきて「覇王別姫」を観たが、ハッキリ言って、高峰の語りのほうが面白かった。
ちなみに、その後、千葉の幕張で映画祭があり、高峰が功労賞を受けたのだが、壇上にいると、以下、高峰の話。
「背の低い、冴えない男が舞台に上ってきて、いきなり私の手を両手でつかむと、何か中国語でまくしたてるんだよ。なんだろう、この人って思ってたら、傍にいた女の人が、その人通訳だったんだね、『私は昔からあなたの大ファンで、あなたの映画は全部観ています。おめにかかれて本当に光栄です、と言っています』って。それ、レスリー・チャンだったの」
「えーーーッ」
私は思わず声を上げた。
「映画観てるのに、わからなかったの?」
すると高峰は、
「だって映画の中と全然違うんだもん。髪はボサボサで背が小さいし、ほんとに冴えない男だったから、わからなかった」
その数年後、名優レスリー・チャンは、自殺する。
人が発する言葉は、どこから出てくるのか? もちろん脳が指令を出すのだが、当然、端から無いものは出てこない。しかし所有している語彙が多ければよいというものではない。難解な言葉を知っていればよいというものでもない。学歴も関係ない。今、どの言葉を発するか。一体、その言葉の選択は思考回路のどこをどう動いて、最終的に口の外に出るのだろう?
2023.04.04(火)