もうひとつ、本書で注目願いたい点がある。絵乃の変化だ。
夫と別れたいと思いながらもどこかに未練があって、優しくされればほだされていた絵乃。しかし狸穴屋で経験を積んだ後で夫と再会した絵乃は「こんな男だったろうか?」「そのすべてが安っぽく、ちんけに映る」と感じ、「べたべたとした口調が女房と呼んだとき、はっきりと嫌悪が走った」のである。
夫が変わったわけではない。変わったのは絵乃だ。絵乃は打ち込める仕事を持ち、相談に乗ってくれる仲間ができ、暮らしが安定した。気が紛れた、と言ってもいい。さらに仕事を通して、他の家庭のさまざまな問題を見てきた。その結果、それまで自分の悩みで手一杯だったところに風穴が開き、自らの悩みを相対化するだけの余裕と視野の広さを手に入れたのだ。
思い詰めていた第一話からの変化を見るにつけ、余裕というものがどれほど大切かしみじみと伝わってくる。ここで思い出していただきたいのは、狸穴屋の女将が七回離縁を経験しているという設定だ。やりがいのある仕事を持っていることが女将を経済的にも精神的にも自立させている。それゆえに人生を自分で決断できる、そんな存在として女将は配置されているのだ。
江戸時代の離縁状は、養蚕・製糸業が盛んだった地域で多く見つかっているという。それは働き手・稼ぎ手として女性たちがひとりで生きていく力を持っていたからに他ならない。
絵乃の変化、女将の設定、そして各話に登場するそれぞれの事情を抱えた女性たち。ひとりひとりの選択や決断を噛み締めてほしい。女性が自分の人生を自分で決める。それこそが、本書の裏テーマなのである。
本書の単行本が刊行されたのは二〇二〇年だが、前後して澤田瞳子『駆け入りの寺』(文藝春秋)や田牧大和「縁切寺お助け帖」シリーズ『姉弟ふたり』(角川文庫)など、離縁を扱った時代小説が立て続けに出版された。閉塞感に喘ぐ現代に、女性が自分の手で自分の人生を決めることの大切さ、生きる力を信じることの大切さをあらためて伝えたいという作家たちからの力強いメッセージに思えてならない。
2023.03.30(木)
文=大矢 博子(書評家)