そんな大金を持たない絵乃は、読み書きができることと気働きを買われて狸穴屋の手代見習いになることに。狸穴屋を訪れる人々のさまざまな離縁問題を目の当たりにしながら、絵乃は自分の本心と将来を少しずつ見定めていく。
物語は連作形式をとっており、それぞれ異なる夫婦事情・家庭事情が描かれるのがポイントだ。第一話の表題作は絵乃が狸穴屋の手代見習いになるまでの物語。つまり、精神的・経済的DVに追い詰められた妻のケースだ。
第二話「二三四の諍い」は商家の話。まだ十代の兄妹が両親の離縁について狸穴屋に相談に来る。母の実家が作った借金のせいで、母を離縁しようと父と長兄が画策している。いまさらそんな父にも長兄にも未練はないが、母のためにより多くの示談金をとってほしいという依頼だ。
第三話「双方離縁」は嫁姑問題。いがみあう妻と母に挟まれて疲弊した夫のため、狸穴屋がある作戦を実行する。第四話「錦蔦」は親権がテーマ。夫婦の離縁はスムーズだったが、婚家は伝統ある縫箔師(ぬいはくし)、実家は大所帯の截金師(きりかねし)で、どちらも一粒種の息子は我が家の跡取りだと譲らない。
第五話「思案橋」では絵乃の身に大きな波乱が起きるのだが、ここにはまだ書かないでおこう。自身の離縁がなるかどうか、大きな分かれ目の一話だ。それを受けた最終話「ふたたびの縁」で、絵乃はとある決断に向き合うことになる。
通して読むと、離縁に関する当時の法制度がつぶさに描かれていることにまず驚かされた。なんとなく江戸時代は夫が一方的に妻に三行半を突きつけ、妻側には何の権利もないような印象を持っていたが、本書を読めばそうではなかったことがわかる。
たとえば、三行半は離縁状であるとともに、妻の再婚許可証書でもあったこと(三行半の定型文の中にちゃんとそう書いてある)。この証書がないまま再婚すれば重婚の罪を犯したことになる。また、三行半の決まり文句である離縁事由「我等勝手ニ付」は夫の好き勝手で妻と別れるということではなく「都合により」程度の意味であり、妻に責任があったとしてもそれを明かさないための表現であるというのも驚きだった。
2023.03.30(木)
文=大矢 博子(書評家)