第1シリーズの「映像の世紀」のプロデューサーは、河本哲也さん、私より15歳ほど上の、最も尊敬する先輩である。長い間河本さんの下で仕事をしてきたが、いつも口にしていたのは、「俺たちはジャーナリストではない。テレビ屋なんだ」という言葉だった。取材費が確保され組織に守られている私たちは、身銭を切り、時に命の危険を背負いながら取材を続けるフリーランサーの前で、堂々とジャーナリストを名乗れるのか。むしろ真っ先にすべきことは、テレビ屋として視聴者を楽しませることではないのか。「映像の世紀」は、その河本さんのテレビ屋精神が見事に体現された番組だった。

 河本さんが目指したものは、「動く紙芝居」だった。歴史そのものを描くのではない。カメラが何を映してきたのかということを描く番組だった。しかし、アーカイブス映像だけで番組を作るという禁欲的な手法には大きな覚悟が求められる。その覚悟を決められたのは、世界各地のアーカイブスから届く映像の豊富さ、面白さだった。歴史の秘話とか裏話とかには一切興味を持たない。やるべきは歴史の動脈の部分、誰もが知っている出来事、中学や高校の歴史の教科書でいい。それを映像で見せるというチャレンジだった。このシリーズは、アメリカABCとの共同取材である。当初は、共同制作というスタイルも模索されたが、この河本さんの決断にはABCもついて行けず、結局アーカイブス映像を共有するだけで、制作はそれぞれの放送局が進めるという形に落ち着いている。

理屈も分析もいらない

 この番組で登場した新しいナレーションの形がある。「これは●●の映像です」というお馴染みの表現である。映像はしばしば国家のプロパガンダの手段として使われる。特に戦争時にそれは顕著である。今であれば侵攻してきたロシア軍を歓迎するウクライナ市民などの映像がそれである。河本さんは、そうした真偽の定かではないプロパガンダ映像を排除するのではなく、プロパガンダ映像の可能性を明記した上で使った。そこから「これはナチスの撮影したプロパガンダと思われる映像です」などの表現が生まれた。テレビは、確たる真実を伝えなければならないという呪縛を断ち切り、そうしたあやふやさも大胆に取り込んでいった。

2023.02.12(日)
文=寺園 慎一