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未来への危機感「お金があっても食べ物が買えなくなる」

――とても素敵な取り組みですよね。賛同する方も多いと聞いています。

枝元 そのうち、お金があっても、食べ物が買えなくなる時代がやってくるんじゃないか、と私は心配です。日本のカロリーベースの食料自給率は、昭和40年度では73%だったのに年々下がっていて、平成17年度からは停滞ぎみで令和3年度には38%になりました。このままだと、そのうち20%以下に落ちちゃうんじゃないかって。

 それに、米価は下がっているし、飼料代は上がっているから、農家や酪農家の人たちがいつ仕事を辞めてもおかしくないように思うんだよね。この状況って中小企業が倒産する過程とよく似ていて、どうにもならなくなった農家や酪農家から自殺者が出るんじゃないかと、とても心配です。

 もし農家が作物を作ることを辞めたら、日本の食べ物がなくなっていきます。

 現代はGAFAなどの最先端の技術を持つ企業がもてはやされているけど、実際にはジャガイモ1個さえ生み出さない事業ばかり。そういうのを追い続ける社会ってもうダサいんじゃないかな。次のステージでは、人が消耗されてボロボロになるんじゃなくて、ちゃんと食べていけて、まっとうに生きることを大切にする世界の方がいいよなって思います。

――そのためにも、ロスされていく現状に疑問を抱く必要があるんですね。

枝元 こういうことを言っていると、「今まで積み上げてきた時代を後戻りすることになるんじゃないか」って言われるんですけどね。脱原発の署名活動をしていたときも、「じゃあ、お前は電気を使うんじゃない」なんて野次があって。そうじゃない。別の意見を提案しているだけ。戻るんじゃなくて、進むことを考えてほしい。

 右肩上がりの社会は永遠に伸びるわけじゃないから、その矢印を、ぱたんと倒して。循環して丸く円を描いて、平らなところで、きちんと食べて眠って、人々が生活できる社会を作っていければいいと思うんです。そうすることで、次の世代の子どもたちには、今とは違うあり方を提示してあげられるようになりたいな。

2022.12.28(水)
文=ゆきどっぐ
撮影=平松市聖