――同人活動で描く内容を受容できる商業媒体がまだなかった、と。

よしなが だから、二次創作でBLをやっている私は基本的にプロになれないんだろうな、と思っていました。当時はまだ「BL」という言葉はありませんでしたし。高河ゆん先生やCLAMP先生の作品が掲載されていた『月刊ウィングス』のような雑誌もありましたけど、もともと同人界でも大人気のサークルでしたから、自分がおなじようにヘッドハンティングされる事はあり得ませんでした。

――1994年にデビューされていますが、現実的にプロの道を考えたのはいつ頃だったんでしょう?

よしなが 1993年に『MAGAZINE BE×BOY』(青磁ビブロス、現:リブレ)というBL雑誌が創刊されてヒットしていろいろな出版社からBL雑誌が出るようになり、「BL雑誌なら私にも描く場所があるんじゃないか」と思えるようになりました。

 

――プロデビュー後も同人活動を続けられていた理由は?

よしなが プロをきっかけに辞める人は少なかったです。他の作家さんも同人も商業も両方されていました。最近は、同窓会に近い感覚にもなってきましたね。年に一度、もしくは半年に一度会ってごあいさつして、新刊を交換してお互いの近況を知る、みたいな。近況と言っても「ええっ、いまそのジャンルなんだ!!」とかそんな話ですけど。ひさしぶりに懐かしい人に会うのもうれしいです。

――ちょうど時期もお盆と年末ですしね。

よしなが でも暑いし寒いし「よくもまあ、そんな時期にやってくれるもんだよ」「なんでゴールデン・ウィークとかスポーツの日じゃないんだ」とはずっと思ってますけどね(笑)。

「今年どうします?」っていう話になると「じゃあ新刊出すかぁ……」

――その場所でしか会えない人たちがいるからこそ続けられる?

よしなが 買って下さってる読者さんとの交流もとても大切ですし、現場での交流がなかったら、本当に何のためにやっているかわからなくなってしまいそう、と私は思っています。手売りがまったくできなくなる日が来たら、「通販だけで売るために描くのもなぁ……」という思いは正直あります。コロナ禍でもがんばって開催してくれたコミケのスタッフさんたちにも感謝の気持ちでいっぱいです。

2022.11.30(水)
文=加山 竜司