「100冊か…どうするんだろうな、これ」よしながふみさんが高3で出した初同人誌と、脳内麻薬が出た“ある体験” から続く

 同人活動への愛を語るマンガ家のよしながふみさん。現在まで長年にわたって「コミックマーケット(以下、コミケ)」にサークル参加を続けている。

 よしながさんがコミケで憧れたマンガ家の中にも、プロとして活躍している人もいれば就職を機に引退する人もいたという。日本のマンガカルチャーの中でも大きな存在感を放つ“同人”という世界の魅力とは。そしてSNSや通販サイトなどが充実した今も、夏は暑く冬は寒いビッグサイトに出展する理由とは――。

――コミケに参加されていた人で、プロの作家になった方は大勢います。

よしなが ただ、同人を描いていた人がみんなプロを目指していたというわけではなくて、どれだけカリスマ的な人気があったとしても、ご本人が辞めると言ったら終わってしまう世界です。とても好きなサークルさんがいたんですけど、あるとき、同人誌のあとがきに「就職が決まったのでこれが最後です」と書いてあって……。

――突然の別れが……。

よしなが 才能とやる気って全く比例していませんし、好きなキャラの好きなストーリーを描く二次創作の楽しさと、自分でキャラもストーリーも考える商業作品は、まったくの別物ですからね。「なんで編集者に指図されなきゃいけないんだ」という矜恃を持って活動されている方もいました。なので、同人誌で人気がある順にプロになったわけでもないし、同人誌での人気がプロでの売れ方と比例するわけでもないんです。

「二次創作でBLをやっている私は基本的にプロになれないんだろうな、と思っていました」

――よしながさんがプロになることを意識されたのはいつ頃だったのですか?

よしなが BL誌が世の中に出来てからですね。それまでは女の人がマンガを描いてプロになるには、少女マンガ誌に投稿するしか道がなかったんです。つまり10代の高校生が主役の「ボーイミーツガール」を16ページで描けないとプロにはなれないと思っていました。

2022.11.30(水)
文=加山 竜司