もう一作は映画『十二人の死にたい子どもたち』(19年)のメイコ。自殺志願の少年少女が集まってきたなかのひとり、メイコは父親を尊敬していて3人も替わった母親のことは馬鹿にしている。

「すぐ見抜きますようちの父は」と無条件に父を讃えているのだが、父のほんとのことはわかっていない。その近視眼的な感覚で12人の少年少女のなかでずけずけと物事を言う。クレバーなところはあるけれど視野が狭いという役を、ひっつめた額全開の髪型、ジェンダーレスできちっとした制服のような服装も相まってみごとに表していた。

 おそらく『ちむどんどん』の暢子は、『アシガール』から『十二人の死にたい子どもたち』の頃に形成されたイメージや彼女の特性を生かそうとした役だったのではないだろうか。

 それより前に遡ると『あさイチ』で紹介されたデビュー当時「マッシュ」と呼ばれていた頃(12年)や、14年の『アオイホノオ』の敬礼ポーズでにこっと微笑む無邪気な役の頃は、ただただ明るいかわいい女の子という印象だった。しかし『アシガール』でポテンシャルを全力疾走することで目覚めさせ、『SICK'S』で人間誰もが抱える黒い部分を発掘し、そのとき、白いセーラー服バージョンのふたりで切り分けたものを、『十二人~』ではひとりの人物のなかに統合した。

 映画『明け方の若者たち』(21年)ではミステリアスなきれいなお姉さんふうの役を演じることで、人間の複雑さを漫画的な表現からやや大人の表現へと進化させてきた。

 正直『明け方の若者たち』や『ちむどんどん』のようにややクセのある作品や役はどれだけ彼女にとってメリットがあるのか読めない部分もあるにはある。しかし、もともと整った顔立ちで落ち着いて喜怒哀楽を出さない人なのであれば、何か突出したことをやらないと逆に埋もれてしまうところを、思い切り振り切っていくことで、俳優としての表現力をつけていっていると思えば、単純に明るく元気を売りにしてこなくてよかったように思う。

2022.10.06(木)
文=木俣 冬