山形県庄内地方の在来作物や魚介を活かした料理で、全国に名を馳せた「アル・ケッチァーノ」。その鶴岡本店が、2022年7月、同市内に移転し、アカデミー、ファクトリー機能を備えた未来型レストランとして生まれ変わりました。レストランの枠を超え未来を見据えた試みや、奥田政行シェフの料理哲学、そのユニークな人物像に迫ります。
アカデミーで伝えるのは「美味しい料理って実は簡単」ということ
移転オープンした「アル・ケッチァーノ 鶴岡本店」の大きな特徴は、レストランの隣に「アル・ケッチァーノ アカデミー」を併設したこと。館内には、料理教室を開催できるラボラトリーキッチンと、カウンター10席のシェフズテーブル(1人予算 30,000円~)があります。
ラボラトリーキッチンは、アイランドキッチンに調理台が4つ、大型のプロジェクターも完備した空間。若手シェフ向けのセミナーや食材の研究会、旅行会社とタッグを組んだ料理教室付きの食材探訪ツアーも計画されています。観光バスが3台も入れる広い駐車場は、そのためのものだとか。
「観光バスを入れるって言うと顔をしかめる人もいるけれど、気にしません。コロナ禍では、飲食だけでなく観光業も大きな打撃を受けているし、ここを作ったのは、フードツーリズム、食による地域創生をさらに盛り上げるためだから。観光客を200万人に増やすことを目標に、僕にできることはどんどんやっていきたい。
いずれはオーベルジュを作る計画もあり、そのための土地も残してあります。美食を突き詰めるのも大事だけれど、ここに集まってくれたゲスト、生産者、地域の人たち、スタッフが、みんなで幸せになれる仕組みをつくるのが、今の目標。僕の使命と考えています」
お客さんの骨格、肌質などからコンディションを見極める
一方、シェフズテーブルでは、奥田シェフがゲスト一人ひとりの顔を見ながら、すべての料理を作ります。そもそもアル・ケッチァーノが支持されたのは、庄内の在来種に光を当て、テロワールにとことんこだわったことだけでなく、奥田シェフの並外れた人間観察力による部分も大きいのです。
「僕は、それぞれのお客さんの骨格、肌や髪の質感などから、その人を形作っている食をイメージし、体力が充実しているのか、ちょっとお疲れ気味か、寝不足なんじゃないか……といったコンディションを見極めて、それぞれの舌と体にすっとなじむよう料理を調整します。同じテーブルのAさんとBさんに出す料理は、塩加減、火入れの仕方も微妙に違うんですよ」
人間とはどういう生き物で、どうすれば心地よくなり、幸せな気持ちになるのか。身体性を意識した料理が、奥田シェフの真骨頂です。
「若い頃、修業していたレストランは、鉄拳制裁が当たり前の世界。シェフに殴られないようにするために、パーソナルスペースを意識したり、邪魔にならないよう動きの癖をつかんだり、呼吸を合わせることを覚えました。そうした経験が、料理にも生きているんですよね」
今も奥田シェフは、毎日お風呂に入る際、60秒間お湯に潜り、時間の感覚を体に叩き込んでいるとか。「パスタの茹で時間は感覚で分かるし、テレビでも時間ぴったりに料理したり話すことができるから、けっこう重宝されています(笑)」
そんな奥田シェフとの会話を楽しみ、料理の様子を間近で見ながら味わう食事は、きっと特別な体験となるでしょう。
奥田シェフは、感覚的なようで論理的。話が思わぬ方向に広がっていくので、周囲はついていくのに必死ですが、その点も十分自覚されているようで――。長年の経験から得た技術、知識をまとめた著書も、業界の話題を呼びました。
2022.09.25(日)
文=伊藤由起
写真=橋本 篤