思春期の「“全てが可能性の固まり”と“世界で自分が一番不幸だ”のはざま」

 また絵コンテと脚本に回っていた宮崎駿だったが、雫の小説世界である通称「バロンのくれた物語」のシーンを自ら演出している。

 当然、監督である近藤喜文は、製作中に宮崎駿と演出などで意見を激しく対立させた。なかでも、本作の重心でもある『カントリー・ロード』の日本語訳歌詞については宮崎案と元の案を支持する近藤とで怒鳴り合いのケンカにまでなったという。

 

 この日本語訳歌詞は鈴木敏夫の娘が作詞したもので、本来は「ひとりで生きると/何も持たずに/まちを飛び出した」という歌詞であった。これを宮崎駿は「ひとりぼっち/おそれずに/生きようと/夢見てた」と直すが、普段はおとなしい近藤が珍しく宮崎の案に強く反対意見を述べたという。

 最終的に近藤が折れ、宮崎案の歌詞になったが、近藤が支持した歌詞は作中、学校のお昼休みに雫が作った歌詞を友人が読み上げるかたちで登場することになる。

 後に近藤はこの元の歌詞にこだわった理由について、自身も漫画家になろうと家出同然で何も持たずに東京に出てきたからだと涙ながらに語ったという。

 また近藤は本作完成直前、原作者である柊あおいとの対談で

 “今の思春期の子供たちって、全てが可能性の固まりっていう感じがするんですけど、それでいて世界で自分が一番不幸だ、みたいな思いでいたりしている子供を見ると、大人の縮図を見ているような感じなんです。そんな彼らの肩から、何とか荷をおろさせて、楽にしてやれたらなって思うんです”

 と、本作『耳をすませば』への思いを語っている。

「本作は、ただの中学生の恋愛物語ではない」

 本作は、ただの中学生の恋愛物語ではない。

 恋愛を通して他者を深く知り、愛する人を通して自身を見つめることで、自分が今なにをなすべきかを知り成長する物語なのである。

 そして『耳をすませば』には、近藤の人生の断片が重ねられているのだ。

 近藤喜文は本作の公開の3年後、1998年1月21日、47歳の若さでこの世を去る。

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参考
『ジブリの教科書9 耳をすませば』(文春ジブリ文庫)
『出発点 1979~1996』(宮崎駿/徳間書店)
『ジブリの仲間たち』(鈴木敏夫/新潮新書)
『仕事道楽 新版』(鈴木敏夫/岩波新書)

作中静止画=© 1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH

2022.09.01(木)
文=すずき たけし