でも、次第に足がむくんで靴が履けなくなってサンダルで仕事したり、関節の痛みが激しくなって自力で階段の上り下りができずマネージャーに肩を貸してもらったり……。あと、帯状疱疹が悪化して、着られない衣装も増えました。そんな状態が続けば、事務所側も怪しみますよね。

 そのうちに寝転がると溺れているように息苦しくて、座った状態じゃないと眠れなくなりました。

 ついに業を煮やしたマネージャーたちが3人がかりで説得に来ました。「一回検査を受けましょう」「仕事は続けられますから」「明日家まで迎えに行くので、そのまま病院に運びますね」と。自分で行くと言ったんですけど、それは信用されなかったですね(笑)。

 

「何時頃に帰れますか?」「帰れないと思いますよ」

――このときに全身性エリテマトーデスが判明したんですね。

後藤 病院に行くなり、点滴やら何やら体中に管が繋がれました。諸々の検査結果を待つあいだ、看護師さんに「明日、朝から仕事なんですけど、何時頃に帰れますか?」と聞いたら、苦笑いされて「帰れないと思いますよ」と。中学3年生の時に、病室から出られないと言われたときの記憶が蘇りました。

 検査で、肺に水が溜まっていることと、心臓が傷ついて漏れ出た心嚢液が臓器を圧迫していることが分かりました。結局、そのまま緊急入院。すべての仕事を降板することになりました。

――長期入院になりましたね。

後藤 最初は半年くらいで退院できるという話だったんです。実際、自己免疫疾患の治療法は私が中学生の頃と比べてずっと確立されていました。いちばん心配されていた心臓と肺の状態も改善したので、体はずいぶん楽になりました。3カ月後には外出許可をもらって、『ひだまりスケッチ』という作品の収録に参加できたくらいに。

 ところがその後、治療を続けても私の数値はそれ以上改善しませんでした。主治医は、「これだけ高い(炎症の)数値は、自分の医者人生で初めて見た」と言いました。それで、もっとハードな治療をやらなければならなくなって……。

2022.09.02(金)
文=加山 竜司