『タッチ』『らんま1/2』『るろうに剣心』など、大人気アニメのヒロイン役を数多く演じてきた声優・日髙のり子さん。ほかにもETC車載器音声や『あさイチ』のナレーションなど、様々な分野で活躍する日髙さんの声を、聞いたことのない人はいないだろう。

 ここでは、デビューから現在までの日髙さんの人生を記した自叙伝『天職は、声優。』より一部を抜粋。『タッチ』浅倉南役に抜擢された当時の心境を振り返る「突きつけられた期限」を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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一番の暗黒時代

 声優の仕事を始めて1年にもならない頃、私はその後の自分の人生を大きく左右する作品に出会った。

 それがあだち充先生原作の『タッチ』(※1)。

 かわいくて優しくてお料理上手なヒロイン・浅倉南ちゃんは多くの方から愛していただき、1985年にアニメが放送されてから2021年の今もなおアニメの人気投票などでは必ず名前が出てくる、私の代表作であり代名詞のようなキャラクターになった。

 もし『タッチ』にキャスティングされていなかったら……多分私はここにはいないと思う。というのも、芸能界を諦めるか否かの決断をしなければならない期限が、数カ月後に迫っていたのだ。

 18歳で歌手としてデビューしたものの、決して成功したとは言えず、進学した短大も仕事で通えず中退してしまった私に、家族の風当たりは厳しかった。両親は私が芸能界で生きていくことはもとより、社会人として経済的に自立できる可能性も低いと考えて、とても心配していた。

 それは娘の将来を考えれば親として当然のことだし、また親兄弟を若い頃から支えて苦労をしてきた父にとっては、水ものと言われる芸能界で私が失敗して弟たちに迷惑を掛けるようなことになったら元も子もないと思っていたようだった。

 その頃の私は40年間の芸能生活のなかで、一番の暗黒時代にいた。

 レギュラー番組は週に1本だけ、『おはよう!サンデー』(※2)という子供番組で、大勢の小学生が皇居の周りを走る「ちびっこマラソン」の司会をコント赤信号さんとしていた。それ以外のお仕事はほとんどなくて、週休6日という信じられないスケジュールのなかで、私は成人式を迎えた。

2022.04.17(日)
文=日髙 のり子