ただ、40代半ば以降は、《人生一芸、じゃないけど、ひとつ柱が立っていたほうがいい》と音楽一筋で行こうと決意を固めたともいう(※8)。職業欄にも「歌手」と自然に書けるようになった。藤井はこの変化について《小説を読もうとすると数時間はかかる。絵や彫刻は見に行くという意思が必要だよね。でも、歌はふと耳に入ってきて、4分で人の人生を変えてしまうこともある。自分が歌ってきた歌の力にようやく気づいたんだ》と説明している(※9)。

 

50歳ぐらいで引退したいと夢見ていたが…

 かつては、50歳ぐらいで引退して好きな絵でも描いてのんびり余生を過ごしていたいと夢見ていたが、いざ50歳になってみると、ステージに上がり続けることが健康の秘訣と気づき、歌えるところまで歌ってみるかと思い直したという(※3)。音楽をめぐる状況の変化から爆発的なヒットは難しくなったこともあり、藤井にとってライブ活動は、音楽を続けていくための原動力としてますます重要になっている。

 ライブでは激しく動くことも多く、トレーニングみたいになっているようだ。もちろん、いつまでこんなに動けるのか思うこともある。それでも、あるとき、テレビの海外取材番組で90歳くらいの農夫のおじいさんがえらくいい声で歌っているのを見て、《“歌えるんだ、(そこまで)いけるかも”と思って。科学とか医学の力を借りてもいいし(笑)、渋い爺さんになって歌っていたいね》と希望を抱いたという(※4)。

 ソロ以外に、弟の藤井尚之とのユニット「F-BLOOD」の活動も続ける。2019年には一人芝居と演奏を融合した「十音楽団(とおんがくだん)」のコンサートを初演し、コロナ禍を挟んで昨秋から今春にかけては全国ツアーも行った。さまざまな形態をとりながら、藤井フミヤはなおも音楽の可能性を追求し続ける。

※1 高杢禎彦『チェッカーズ』(新潮社、2003年)
※2 「週刊女性PRIME」2021年8月20日配信
※3 『家の光』2022年3月号
※4 『週刊女性』2018年9月18日号
※5 『Interview File cast』vol.46(2012年9月)
※6 『週刊文春』2018年10月4日号
※7 『芸術新潮』2019年8月号
※8 『スカイワード』2014年6月号
※9 『週刊現代』2013年5月4日号

2022.07.16(土)
文=近藤正高