『罪の声』での演技が大きな話題を呼び、日本アカデミー賞優秀助演男優賞などを受賞した宇野祥平。今や日本映画界になくてはならない存在となった、名バイプレイヤーの俳優人生を振り返る「第1回」。
●名画座に通う野球少年
――幼い頃の夢は?
小学校から高校まで、ずっと野球をやっていたんですけど、周りのみんなが「プロ野球選手になりたい!」と言っているなか、僕はそれが夢に結びつかなかったという感じでしょうか? 祖母から口酸っぱく「手に職をつけろ」と言われて育っていましたし、そもそも夢というものを真剣に考えたこともなかったです。
――その一方、小学生の頃から名画座に通うほどの映画好きだったそうですね。
自分の意志ではなく、祖父が映画好きで、3本立ての名画座に連れていかれたのがきっかけです。でも、大体は映画館に置いていかれました(笑)。最初、映画は怖かったです。映っているのは周囲とは明らかに違う大人たちだし、見てはいけないものを見ているような気分でした。勝新太郎さん、森繁久彌さん、渥美清さん、原節子さん、高峰秀子さん……。怖いけど、また観たいと楽しみになっていきました。
●自分も好きなことを仕事に
――その後も、日本映画を中心に観られていた感じですか?
友だちとハリウッド大作を観ることはありましたが、野球をやっていたからなのか、名画座から足が遠のいていきました。その後、一人で名画座に観に行くようになったのは18歳ぐらいになってからで、岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』でした。日常を生きる小林桂樹さんが可笑しいけど、そこには深刻な怒りがあってドキッとしました。祖父に連れられて映画を観ていたときは、理解し難いながらに引きつけられましたけど、このときは自身のことを考えるきっかけになりました。当時の自分にとって助けになる映画でした。
――高校卒業後には、梅田のビジュアルアーツ専門学校に入学されます。
どこかで「好きな映画の仕事がやりたい」という気持ちがありながら、祖母には、なかなか言うことが出来ず、それどころか親戚の生花店の紹介で、関西でも有数の忙しい生花店に修業に行くことになってしまいました。でも、一年くらい経ったある日、生花店のオヤジさんが、ビジネスではなく、心の底から花が好きで仕事していることがわかったんです。それで、自分も好きな映画を仕事にしようと心に決めました。
2022.06.24(金)
文=くれい響
撮影=平松市聖