淳の「どんな手でもすがりたい」気持ちがすごくわかる

 阪本順治監督による映画『冬薔薇(ふゆそうび)』にて、主演を務めた伊藤健太郎さん。

 伊藤さんにとって、1年の休業期間を経て撮影に入った本作。主人公の渡口淳を、持てるものすべてをぶつけ、自身をさらけ出して演じてみせた。

 撮影前、撮影中、公開を間近に控えた今、それぞれのフェーズで感じたことを、包み隠さずインタビューで語ってくれた。前後篇に分けて掲載する。(【前篇からつづく】伊藤健太郎の“復帰作”『冬薔薇』公開「しんどいけど、最高に楽しかった」オファー時から撮影期間に至るまで)

――前篇では、淳を深い部分で理解したというお話もありました。どのあたりに感じましたか?

 淳の不器用な感じ、孤独な感じがすごく理解できたんです。淳は自分の居場所がないと思っていて、そんな彼にとってみたら、手を差し伸べてくれる人たちは救いに映るんですよ。けど、その中のどの手を掴んでいいのかわからない。端から見たら、「そっちの手は掴まないほうがいいんじゃない?」と思えても、淳にとってみればありがたかったし、しがみつきたい思いがあるんですよね。

 よくも悪くも自分のいる場所がなくなってしまった感覚は、自分も理解できる部分があったので、気持ちをリアルに表現できたかなと思っています。

――伊藤さん自身は、乗り越えられた感覚を持っていますか?

 そうですね。僕は乗り越えました。

 淳と比べると、ですけど、自分に手を差し伸べてくれる人たちに対して、早い段階でそのありがたみや温もりに気づけたと思っています。恵まれていることに、僕に差し伸べていただいている手は、ほとんどが温かいものでした。だから、今日ここまでこられているのかな、と思っているんです。

 だから、淳の「とにかくどんな手でもすがりたい、飛び込んでしまう」という感覚がすごくわかります。自分が苦しいときに手を差し伸べてもらって、ぽんって行っちゃう気持ち……。だからこそ、淳を演じているときにすごくもどかしくなったり、「もっとこうすればいいのに」という思いも強くありました。

寄る辺なさを抱えた人たちの映画を世に届ける意味

――淳の寄る辺なさ、生きづらさが浮き彫りになる一方で、淳と同世代の中本(坂東龍汰)も見た目にはわからない闇がありました。世の中にはいろいろと抱えてしまっている人たちが多いのでは、と気づかされる作品でもあると思います。

 僕もそう思います。淳を始め、中本も、ほかの大人たちも、出てくる登場人物はみんな生きるのが下手くそで、そんな人たちの集まりの映画なんです。

 でも、実際……実社会で生きている人たち、みんなそうなのかもしれない、と思うんです。胸を張って言えることじゃないから、みんなそこをどうにかこうにか隠して生きていくじゃないですか。そういう人たちは当たり前にいますし、逆に僕はそういう人たちのほうが人間味あふれているとも思う。そういうふうに観てもらえたら、この映画を作った意義みたいなものがすごくある気がするんです。

2022.05.28(土)
文=赤山恭子
撮影=山元茂樹