2021年5月にナノ・ユニバースのクリエイティブディレクターに就任し、リブランディングの指揮をとるのが中田浩史さん。
1970年生まれで、学生時代のアルバイトから今に至るまで、ずっとアパレル業界に身を置き、活躍を続けてきた。今回、その半生を振り返りながら、中田さんの今を形作ってきたものを語ってもらいました。
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音楽カルチャーからファッションを学ぶ
現在ナノ・ユニバースのクリエイティブディレクターとして、毎日さまざまなことを学びながら仕事をしている僕ですが、実はもともと勉強が嫌い。ただ、昔からカルチャーについては興味があったんです。
学生の頃は自分が知りたい情報を得る手段がなくて、ファッション誌自体も少なかった。そこでファッションについて参考にしたり、自分の感性を高める上で教科書にしていたのが、レコードジャケットのデザインワークやそこに写るミュージシャンの服装などの音楽カルチャーでした。
中でもカルチャー的にも音楽的にもファッション的にも、つまりは世界観まるごと影響を受けたのがモッズやロッカーズです。特にハマっていたのは、音楽でいえば、チェッカーズやビートルズ、映画でいえば、イギリスを舞台にモッズの若者たちを描いた『さらば青春の光』ですね。チェッカーズは、1980年代後半にキュートビートクラブバンドとして活動していた時期があって、その頃が特にカッコイイんです。
モッズ映画の登場人物のスタイルに憧れる
映画『さらば青春の光』は僕にとって特別で、これを観て東京スカパラダイスオーケストラのみなさんが着ているような、ぴたぴたの細身のスーツをオーダーで作りましたし、モッズコートも着ていました。映画に登場するベスパというイタリアのスクーターにも乗っていて、2人乗りができるようにしたり、ライトを複数つけるとか、映画に寄せてカスタムもしました。練習だけで終わってしまいましたが、なんちゃってスカバンドのような活動も行っていたんです。
高校に入学すると古着屋のお兄さんが私の教科書になりました。店頭に立っている時の服装が恰好よくて。音楽やファッションのことをいろいろ教えてもらえることも楽しかったので、いずれは自分もお兄さんのようになりたいと思っていました。
そんなこともあり大学時代は服屋でアルバイトをしました。新品も古着も両方扱っている店で、働いているうちに、いずれはアパレル業界に入りたい、服の接客や販売に携わる仕事をしたいと思うようになりました。その頃にはもう服に夢中でしたね。本当に服が好きだったんです。
ファッション業界を志した動機の根底にあるのは、見栄えをよくしたいとか、恰好よくなりたいという気持ちです。私は子どもの頃から背の低いことにコンプレックスがありましたが、服を好きになってからは、自分に自信が持てるようになったんです。言ってみれば、服に助けられたんです。憧れのショップスタッフのお兄さんにはなれなくても、着こなしのテクニックを身につけたり、洋服やカルチャーを勉強すれば、いつか理想に近づけるって。
雑誌は教科書、線を引きながら読んでいる
社会人になってからは、環境が変わることはあっても、ずっとアパレル業界で働いてきました。
思い出深いのはイッセイミヤケで働いていた時。今はなき雑誌「ミスター・ハイファッション」で、当時イッセイミヤケのデザイナーだった滝沢直己さんの特集が組まれたこともありますし、別の特集では私もイッセイミヤケのスタッフのひとりとして登場させていただいたこともありました。滝沢さんにはお仕事を通じて、たくさんの方を紹介していただいたり、さまざまな経験をさせていただき、もう感謝のひと言ですね。この頃の「ミスター・ハイファッション」は毎号素晴らしくて、先輩から“雑誌は教科書だから赤ペンを持って読め”と言われたので、大事なところに線を引きながら熟読していました。
こんな風に、ファッション業界に、そしてファッションそのものに育ててもらったなと感じていたので、少し前まではそろそろファッション業界に恩返ししたいなと、ちょっと隠居気分だったのですが、今ナノ・ユニバースの仕事をするようになって、もうバリバリ最前線に立つようになっちゃって。やることが洒落にならないくらいあって、青春を取り戻したかのようにがむしゃらに仕事をしていますね。二度目の青春です(笑)。
好きなファッションの軸は基本的に変わっていませんが、年齢を重ねて古いものが好きになりました。古い服とかヴィンテージウォッチとか。ものに興味をもったら文化的な背景も掘り下げたくなるんですよね。今着ているのはメモリアルジャケットと言って、日本で言えば寄せ書きされた色紙みたいなもの。アメリカでは同じ会社の同僚や学校の同級生が、仲間や友達であることを残すために服に落書きをしたりするんですね。
2022.04.09(土)
文=石川博也
撮影=杉山秀樹