リンクでの練習は通常営業の前と後に個人で行うのが常で、朝4時にリンクに向かい、帰宅は深夜11時頃になることもあった。

 

ノーミス演技の裏側にあった“ママチャリ”

 そんな坂本の移動手段は“ママチャリ”。家からリンクまで往復約14㎞もの道のりを日々、漕ぎ続けた。

「選手専用のリンクがないので空いた時間に滑るしかなく、決して恵まれた環境ではないんです。いくつかリンクを掛け持ちで転々と。朝早くから夜遅くまで、学校の合間を縫って通っていました。時間がいくらあっても足りない感じで、待ち時間があるとすかさずロビーで参考書を開き、『勉強せな試験が危ない!』って(笑)。日本を代表する選手になっても全然飾らないですね」(神戸市立ポートアイランドスポーツセンター運営責任者の久保良太さん)

 自宅周辺でも早朝の走り込みを行っていたという坂本。今大会のほぼノーミス演技の裏には、“ママチャリ通勤”と基礎トレーニングで鍛えた強靱な筋力と体力があった。スポーツライターの野口美惠さんが語る。

次の五輪に向けて、父との約束

「ひと目みただけで、他の選手とは全く異質の滑りに誰もが引き込まれます。圧倒的なスピードの中で質の高い技をこなすには、女子選手の場合、相当な筋力と体幹が必要。滑りそのものの技術を示す『スケーティングスキル』はフリーでは全選手中1位。圧勝でした」

 メダル獲得が決まった瞬間、号泣した坂本だが、会見では既に次の五輪に向けて、こう目を輝かせていた。

「また4年間あの努力を続けると思うと、途方もないんですが……、でも楽しみです。(父は)コロナで北京は行けなかったので、お父さんと『ミラノは行こう』と約束しました」

 4年後、またあの笑顔と嬉し涙をみせてほしい。

2022.03.10(木)
文=「週刊文春」編集部