大江広元【栗原英雄】は、頼朝が京都からスカウトしてきた文士(文官)の一人で、京都の公家から「二品(頼朝)御腹心専一者」とまで評され、畏怖されることになる人物だ。文士なので穏やかな人格者のイメージを持たれがちだが、実際は己の権力の保全のためには手段を選ばない冷酷さを併せ持っていた。しかしそれは武家政権の存続という大義を掲げていたことからで、必ずしも利己主義者とは言えないだろう。北条氏が実権を握った鎌倉幕府は、その後も安定していくので、広元こそ「執権政治の生みの親」と言ってもいいだろう。

 梶原景時【中村獅童】は、かつて義経と対立したことからよいイメージを持たれていないが、実際は「文武に秀でた有能な外交官」だった。だが虎の威を借る者は、虎がいなくなれば孤立を余儀なくされる。縦のつながりをしっかり押さえていても、横のつながりをおろそかにすれば没落が待っているのだ。

 

個性豊かな宿老たちを三谷幸喜はどう描くか

 和田義盛【横田栄司】は頼朝によって侍所別当という要職に就けられたが、実際は「武辺気質の典型的な鎌倉武士」だった。だが義盛は妥協することを知らず、声高に自己主張するので、周囲から浮いた存在になっていく。その結果、北条氏との間で疎隔が生じ、武力に訴えざるを得なくなる。だがその決戦に敗れ、一族もろとも滅亡する。過酷な時代なので利己主義にならざるを得なかったのは分かるが、もう少し利他を考えれば、また違った人生を歩んでいたことだろう。

 安達盛長【野添義弘】は頼朝に影のように付き従った補佐官で、鎌倉幕府草創期の功績はとくに大きい。よく言えば「鎌倉幕府創設の陰の立役者」だが、頼朝の秘密警察的役割を担っていたのも事実だろう。頼朝の死後は出家して影が薄くなるが、梶原景時の弾劾では積極的に動き、幕府を安定へと導いていく。

 三浦義澄【佐藤B作】は鎌倉時代を象徴するような三浦一族を率い、幕府の創業に大きな貢献をした。だが面白い逸話もなく、義澄がどんな男だったかはなかなか見えてこない。頼朝挙兵時には54歳という高齢だったので、分別盛りで目立たなかったのかもしれない。いわば「自己顕示欲が少ない沈黙寡言な人」たったのではないだろうか。

 その他のメンバーを一言で言うと、以下のようになる。

 二階堂行政「鎌倉幕府の屋台骨を支えた実務官僚」

 中原親能「京都外交を担った有能な文士」

 三善康信【小林隆】「平衡感覚に優れた最高裁長官」

 八田知家「幕府の北関東支配の要」

 足立遠元「文武両道に通じたご意見番」

「13人の宿老」には、これだけ個性豊かな人物がそろっていたことになる。その実像は別としても、『吾妻鏡』が個々の人物像を生き生きと描き出してくれたことで、鎌倉時代をより身近に感じられることだろう。

 さて、いよいよ大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まる。脚本家の三谷幸喜氏が、彼らをどのように描くか、今から楽しみだ。

2022.02.06(日)
文=伊東 潤