濱口竜介監督、西島秀俊主演の映画『ドライブ・マイ・カー』(原作:村上春樹「女のいない男たち」)が、アカデミー賞の前哨戦といわれる「ゴールデン・グローブ賞」を受賞。
日本映画では62年ぶりとなる快挙を記念して、濱口竜介監督に原作者・村上春樹さんへの思いをたずねたインタビューを再掲します(初公開日 2021年8月14日)。
村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』に所収されている同名作品を原作とした映画『ドライブ・マイ・カー』が2021年8月20日(金)より公開となる。
同作品は第74回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で「脚本賞」を受賞。
主演は西島秀俊、そして共演は三浦透子、霧島れいか、岡田将生と名作への期待は高まるばかりだ。
カンヌ前の6月、濱口竜介監督にインタビューをした。
●村上作品が読みやすいのは「文章が異常にうまい」からです
――原作者の村上春樹さんには、まだお会いになっていないとか。村上さんは、映画が公開になってから、映画館に足を運んで作品を観たいとおっしゃっているそうですね。細かいことですが、映画を観てまず最初に感じたのは、車の色が違うということでした。原作で描かれている車は黄色のサーブ900コンバーチブルという設定でしたが、映画では赤いサーブとなっていたのはなぜですか?
黄色はとくに引きで撮影すると風景に埋没しやすい色だからです。
また、車の中での会話がメインの映画なので、オープンカーだと録りにくい。
とはいえ実際に黄色いサーブを一度見に行ったところ、手配してくれた劇用車会社の担当の方がこの赤いサーブに乗ってきて。一瞬で気に入りました。
「車好きの人が大事に乗っているサーブ」というイメージにぴったりの車だったので、それを使わせてもらいました。
――村上作品への思い入れはそれほどでもない?
大ファンといっていいのか。20代前半から読み始めて、長編小説はだいたい読んでいます。
僕は正直、小説を読むのが得意ではないんですが、村上さんのは不思議と手に取ってしまいます。
そしてページをめくりだすと止まらない。それはまず、圧倒的に読みやすいからです。
バカみたいな表現ですが、読みやすいのは「文章が異常にうまい」からです。
僕は小説を読むときに描写を想像するのがけっこう負担に感じることがあって、なかなか読み進まないことが多いんですけど、村上さんの文章の上手さは、読者の想像力を肩代わりしてくれるほどのものです。
例えば、最近だと「騎士団長殺し」で主人公が絵を描く場面があります。
文章を読んでいると身体的に「絵を描く」という感覚が伝わってくる。
村上さんが絵を描くのかは知りませんが、村上さんの想像力と言語化能力が絵を描く感覚を与えてくれる。
村上作品には圧倒的な文章の力があって、「読まされてしまう」ところがあります。
これは、他に比肩する作家がいないものです。まさに車に乗ったように運ばれていく。
運ばれていくうちにすごく突飛な展開をしていくのに、「自分はこれを確かに知っている」という現実的な感覚に出会う。
普遍的なものをすごく個別的で、具体的な手触りのあるものにする想像力と文章力がある。
読み手は未知のものを「知ってる」という驚きとともに提示されることになります。
村上さんは、インタビューで「読者との信用取引」という表現をされていたと思います。
「村上は悪いようにしないと読者は経験的に知っているから読み進められる」とおっしゃっていたと思うんですが、まさにそういう感じ。
僕も、文章を読む先に何かが待っているだろうと思いながら読んでいます。
●「マジックリアリズム」は僕も目指すところ
――村上さんと濱口さんの共通点は?
僕は2016年に1年間ボストンに住んでいました。ハーバード大学のライシャワー日本研究所に、文化庁の支援制度を使って行ったんです。
そのライシャワー研究所に村上さんも在籍されていたことがあったそうで「ここが村上春樹が走った道か」と思ったりしました。
勝手ながら、どこにいても異邦人的な感覚があるのは似ているのかもしれないと思います。
読んでいて、どこにいたとしても埋めることができない違和感みたいなものが、おそらくあるんじゃないかと。
村上さんの文章は、その違和感を原動力にして、他者とのつながりをすごく求めるように書かれている印象です。
村上さんの小説はファンタジー的な要素がふんだんにあるのに、リアリズムという印象を受けるのが不思議。
「マジックリアリズム」的と評する人もいるようですけれど、ありえないことが繰り返されるのに、「あ、あるのかも」と納得してしまう。
それは僕自身も目指すところではあります。
2022.01.16(日)
文=CREA編集部
撮影=佐藤 亘