1人目のヒロイン・安子は家父長制の犠牲者
1人目のヒロイン・安子が生まれた1925(大正14)年は、家父長制が圧倒的な価値観として存在していた時代です。家長たる男性が権力を独占し,家族員を支配・統率する家族形態にもとづくこの社会的制度は、明治民法によって法的に保証されていました。女性は弱い存在であり、男性の監視下、保護下に置かれていた時代。3世代のヒロインがいるからこそ、安子はたっぷり家父長制の犠牲者として描かれています。
女性は継ぎたくても家を継げない、結婚の許可は父親が与える、夫はタメ口で妻が敬語……それらは疑うことなき当たり前のこととして描写されています。家父長制は、女性に経済力を持たせない社会の仕組みでもあり、むしろそこから少しでも外れると、女性が幸福になるのが難しかった時代なんです。
安子は英語の勉強やおはぎの商売といった自分のやりたいことをやる女性ではありましたが、ガシガシ困難を乗り越え自立していくお決まりの朝ドラヒロイン像ではありませんでした。戦前の女性観や家の役割に抗うことはなく、むしろ無自覚に受け入れていています。「なんでやろ」と困るくらいで逆らわない。
それ故に、自分の意志と社会的圧力の間でバランスを崩して、最終的に壊れてしまった。語り部を務める城田優の「安子はこの上なく幸せな女の子でした」という優しく穏やかな語りでスタートした安子編ですが、描かれたのは家父長制に取り込まれた女性の敗北でした。
娘のるい、孫のひなたはどう生きるのか
戦後の新民法では家父長的家制度を廃止。日本国憲法でも、第14条において、すべての国民が法の下に平等であって、政治的、経済的又は社会的関係において性別により差別してはならないとするとともに、第24条では、家族関係における男女平等を定めていいます。
でも、現実は今でも日本は「家父長的雰囲気」に包まれているとみなさんも感じていることでしょう。家事、育児、介護のように「女性から何かしら奉仕を受ける権利がある」と思っている男性はまだまだ多いですし、国民1人一律10万円の特別定額給付金を受け取る権利のある「受給権者」が住民票の「世帯主」に限定されていたのも謎でした。平等とは? と思うことがまだまだ多いです。
るいは今1970年代を生きていますが、これから高度経済成長期における特徴的「近代家族」として、父が仕事をし、母が専業主婦として家事育児に専念するような古典的な性別役割分業を基本とする家族のカタチというのも描かれていくかもしれません。
そうすると、安子の孫となる3人目のヒロイン・ひなた(川栄李奈)が生きる時代(就職氷河期世代あたり?)をどう描くのかも気になります。1925年から100年を描くということは、2025年まで。大正から令和まで続くこの100年には、必ず私たちの生まれた年代が入ってきます。自分の生きた時代の社会の空気を改めて俯瞰した視点で確認できるのもいいですね。
るいの名前の由来でもあるジャズトランペッターのルイ・アームストロングの名曲「On The Sunny Side Of The Street」はストーリーに絡んで度々BGMとしてかかります。その歌詞(邦訳)は「コートを掴んで、帽子を取って、心配事は玄関に置いて、日向の道へと歩き出そう。聞こえる?あの楽しげな音。あれは幸せな君の足音。ひなたの道を歩けば、きっと人生は輝くよ」という前向きです。
るいの父親・稔(松村北斗)の「子どもたちにはひなたの道を歩いてほしい」という、願いが込められている曲ですが、女性が「自由に、ひなたの道を歩く」ということが困難だった時代を思えばこそ、この歌は家に縛り付けられていた女性たちが社会へ出ていく歌のようにも感じます。
2022.01.17(月)
文=綿貫大介