発想を変える。ちがった物の見方をする。ちょっとしたヒントに気づけば、人は運命を創りだすことができると説かれている本がほとんどだろう。

 しかし、世の中には変えられるものと、変えることのできないものがある。もしこの世界に真理というものがあるとすれば、それは黒か白かということではない。黒でもあり、また白でもある。それが究極の答えではないか。

 人は努力することで、自分の運命をつくりだすこともできる。しかし、どれほど真剣に努力をしても、できないことはある。

 世の中は善意にみちているか。そうだ、人間の善意というものは必ずある。私の中にもあるし、また他人の中にもある。

 同時に、この世界が悪意にみちていることも事実だ。私の心にどす黒い憎悪があり、他人は他人に対してけだものにもなりうることを認めなければならない。

 私は差別を憎む。それでいながら自分の中に他を差別する心が宿っていることを否定できない。

 

 先日、新潟へいってきた。ちょうど朱鷺が自然の中に放鳥されるとかで、地元新聞はそれをトップニュースで報じていた。優美な朱鷺の写真も掲載されていた。

 朱鷺は特別天然記念物であり、国際保護鳥にも指定されている。その保護と飼育には巨額の予算も投じられ、世間の大きな注目も集めている。

 それは絶滅の危機にある美しい鳥を守る人びとの善意と関心が、朱鷺の運命によせられているからだ。しかし、いま地上に絶滅寸前にある動植物は、無数にあることを私たちは知っている。朱鷺はなぜこれほど大切にされるのか。ふと、そんなことを考えた。

どうしても努力が続かない人

 努力が大事だと思っても、どうしても努力が続かないという人がいるものだ。私なんぞも典型的なその手のタイプの一人である。

 受験勉強をするために机の前に坐る。目の前の壁に、

〈克己〉

 と、筆書きの文字がはりつけてある。自分の意志の弱さを、なんとか克服しようとして自分で書いた筆書きの文字だ。

2021.12.31(金)
文=五木寛之