香港を舞台にしたMONDO GROSSO「ラビリンス [Vocal : 満島ひかり]」が話題を呼んだMV界の俊英・丸山健志が、ついに長編映画デビュー。“東京版『恋する惑星』”といえる『スパゲティコード・ラブ』に至るまでの功績について語ってくれました。
●総合芸術を生み出す映画監督になりたい
――幼い頃の夢は?
中学生から高校生にかけて、スティーブン・スピルバーグ監督の作品など、映画を観まくっていたこともあり、世界でいちばんスゴい職業が映画監督だと思っていました。その後、地元のTVの深夜枠でジュリアン・シュナーベル監督の『バスキア』を観たことで、人生観みたいなものが大きく変わり、映画という総合芸術を生み出す監督になりたいと思うようになりました。
――その後、上京されて、自主映画を制作するきっかけは?
明治大学を中退した後、「とりあえず映画を作ってみよう」と思い、脚本を勉強するために、アルバイトをしながら青山にあるシナリオ・センターに深夜に通いました。それでビデオカメラとパソコンで自主映画の短編をコツコツと撮っていました。その後、『エスカルゴ』が「ぴあフィルムフェスティバル2005」で入賞したことで、早稲田大学大学院に推薦入学することになりました。
――そんな04年に脚本・監督を務められた『エスカルゴ』は、どんな作品だったのでしょうか?
『バスキア』の欠片も感じさせないんですが、殻にこもった孤独な男がおばあちゃんに恋をするという話です。音楽もスカやジャズなどを使っていたんですが、今思い返すと、キャラクターを立たせたちょっとコメディタッチな作品でした。幸運にも、この作品で「第6回TAMA NEW WAVE審査員特別賞」も受賞することができました。
●乃木坂46のドキュメンタリー映画も監督
――その後、映画界ではなく、MVやCM業界に進まれた理由は?
そのまま自主映画を続けていても、食べていけないということが分かったんです。あと、『エスカルゴ』を観てくださったMV関連の監督さんやプロデューサーさんが、MVやスペースシャワーTVの音楽番組のディレクターの仕事を紹介してくださったことも大きいです。
――そして、AKB48及び関連グループの映像コンテンツ企画製作を手がけるKRK PRODUCEに所属し、10年あたりから40曲以上のMVの監督を務められます。カメラの前で、彼女たちを輝かせる方法は?
当時はほかのアーティストも撮っていましたし、タイトなスケジュールの中、がむしゃらにやっていました。そんななか、自分のなかでは彼女たちに無理をさせない、できるだけ自然体のまま、ナチュラルに演じてもらうように心がけていました。それによって、輝いてというか、魅力的に見えるのかもしれません。
――その集大成といえるのが、15年に監督されたドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』でした。
デビュー当時から彼女たちのMVを撮っていましたが、映画で密着していたのは半年ぐらい。3年間の彼女たちの活動の素材を、編集していた印象の方が強いですね。また、作品的にもメンバー5人を中心に描いたこともあり、ファンの方々からは賛否両論だったかと思います。
2021.12.03(金)
文=くれい響
撮影=松本輝一