そもそも『エヴァ』の何が斬新だったのか?

 『エヴァンゲリオン』のTVアニメ版が放送されたのは、1995年から1996年。この当時にシンジたちと同じ14歳だった世代は、現在40歳前後。クリエイターとして脂が乗っているタイミングといえる。また、彼らから『エヴァンゲリオン』の魅力を教わった後輩世代を35歳前後と仮定すると、アニメ・マンガ業界などではバリバリ頭角を現している世代に該当する。

 そもそも初期の『エヴァンゲリオン』が主人公と同世代に突き刺さるものだったのかという問題もあるため乱暴な意見ではあるが、非常にざっくりとした意見として「『エヴァンゲリオン』で育ってきた世代がいま、トップクリエイターに成長した」側面がある、という風に受け止めていただければ幸いだ。

 ただ1997年に放送開始した『踊る大捜査線』や、1994年に連載開始した『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』も本作の影響を受けており、同時期のクリエイターたちも大いに触発されているところが、『エヴァンゲリオン』の『エヴァンゲリオン』たるゆえん。

 たとえば、『踊る大捜査線』では『新世紀エヴァンゲリオン』側に了解を取り、本作のBGMをアレンジしたものを劇中で使用している。

 また、『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心のかつての妻である雪代巴について、作者の和月伸宏は「綾波モドキになってしまった」とコミックス21巻の中で告白している(確かに、キャラクターデザインや性格にかなり近いものがある)。

 そもそも『エヴァンゲリオン』の何が斬新だったのか? ここに関しては個々人で異なるため断定することはできないが、間違いなくいえるのは「キャラクターの精神的な脆弱さを赤裸々に描いた人物設計」と「スタイリッシュな映像演出」、「憶測・考察を生む神話的で難解な物語」であろう。

 人物設計においては、特にシンジの「人から必要とされたい」という渇望や、「弱音を吐きまくる」点、内面の葛藤を包み隠さず、どろりとした原液のまま見せてしまうところに、本作の面白さがある。

 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(97)であれば、シンジは電車内のシーンで「だったら僕に優しくしてよ!」「僕の相手をしてよ!」「僕にかまってよ!」と感情をぶちまける。シンジの声を担当した緒方恵美の鬼気迫る演技もあり、いま観ても強烈に突き刺さるヒリヒリした場面だ(『シン・エヴァ』ではこのシーンに対する“解答”が用意されており、観る者の心をグッとつかむ名シーンになっている)。

 シンジは主人公でありながら、格好をつけよう、自分をよく見せようとする意識が薄い(他人の目を気にしながらも、虚勢を張るよりも許容を求めてしまう)。TVアニメの第1話ではゲンドウに「エヴァに乗れ」と言われて「できっこないよ! こんなの乗れるわけないよ‼」と拒否し、第4話では重圧に耐えかねてエヴァのパイロットを辞めてしまう。全編を通して未成熟であり、苦悩し、もがき続けるのだ(かわいそうなほどに精神崩壊を経験する)。

 ただ、だからこそ彼が運命を受け入れる『シン・エヴァ』の展開は、長い長い旅の終わりを感じさせる感動的なものとなった。観客に対して嘘をつかない「共感型」の主人公の極北ともいえるシンジの存在は、今後も多くの創作物において、参考にされていくだろう。

2021.08.14(土)
文=SYO(協力:桜見諒一)