また、秋篠宮は名乗れません。姓もどうするのでしょうか。眞子さまを取り巻く環境は、国民と異なることが多いのです。前提条件が違い過ぎますから、眞子さまを国民と同じように考えて、「そんなに結婚したいのなら結婚させて、駄目なら離婚すればいい」と、軽々しく言ってほしくはありません。結婚にあたっては、時間をかけて賢明な選択を真剣に考えるべきだと思います。
秋篠宮さまが私に仰った「皇族の真実」
こんなこともあります。ある時、秋篠宮さまもふと私に、次のように漏らされました。この言葉は、強く響きました。私は今でも忘れることができません。
「どこに行くにも、必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったことはあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります」
もしも、自分が秋篠宮さまの立場になったと仮定したらどうでしょうか。さぞかし窮屈に感じることと思います。早く今までの普通の生活に戻りたいと思うでしょう。秋篠宮さまもそう思っているけれども、それが許されないのです。眞子さまも同じです。こう考えると、日頃から秋篠宮さまたちに犠牲を強いている側面が浮かび上ってきます。
眞子さまたちの自由や人権が、もっともっと尊重されるような環境を作って差し上げる。そうした議論が必要だと思います。
現行の皇室の関係する法律や皇室制度そのものが、もはや今の時代にそぐわなくなっていると思います。眞子さまの結婚問題が、主権者である国民が皇族の自由などをより深く考えるきっかけになってほしいと願います。
秋篠宮家が「女官」をなくした意味
秋篠宮一家の世話をする「皇嗣職」の職制に注目してみましょう。皇太子一家を支えていた東宮職は、皇太子さまの世話をする男性の東宮侍従長や東宮侍従が控えていました。雅子さまを担当するのは、女性の東宮女官長や東宮女官でした。男性と女性で仕事や役割がほぼ分担されていました。しかし、皇嗣職は、宮務官長と宮務官が置かれ、従来の侍従、女官という名称をなくしています。
2021.08.01(日)
文=江森敬治