●我々は言葉にできないモヤモヤを抱えている
――映画では登場人物が様々な異文化と邂逅することで、閉塞感がとけていく様を描いていると感じ、カタルシスを感じました。
たしかに、閉じられたものが開かれていく映画です。
我々の日常は、ルーティンから成り立っていて基本的には閉じられている。
閉じているから安心できるけれど、閉じることで吹きだまることはある。
言語化できない、なんだかわからないモヤモヤを、我々は少なからず抱えています。
他人も同様に、別のルーティンのうちに閉じた状態にあって、互いにモヤモヤを抱えている。
そんなある人とある人が出会ったとき、偶然それが新たな扉を開くことがある。
会話が互いのモヤモヤを解消するということがありますよね。
「話せてよかった」っていうことは単純にあります。
会話っていうのは言葉の意味だけをやり取りするのとは違います。
他者と話して初めて引き出される言葉があるわけですけど、その言葉を通じて自分のモヤモヤした感情の正体をつかめることがある。
本来なら同じ場所にはいないような二人が出会ってしまうということが、この映画では繰り返されます。
偶然を通じて、出会うはずじゃなかった人が出会って、初めてこんな自分がいたんだと発見する。
それが家福とみさきに起きていることです。
劇中での西島さん演じる家福と、岡田将生さん演じる高槻の会話は、より激しいものです。
会話というよりは、お互いがお互いの秘めた感情を出し尽くすように言葉をぶつけ合う場面です。
ここでは言葉による解放があります。
ようやく互いに抱えていた違和感を吐き出せている場面だとも思います。
二人の演技も素晴らしい。
2021.08.14(土)
文=CREA編集部
撮影=佐藤 亘