私は「恋歌・万葉集」(光文社)の中で、奈良朝前期を代表する女流歌人の大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)を登場させています。彼女は若いころから才気豊かなプレイガールとして有名で、架空の恋歌をたくさん作り、自分の心情をあらわす段階から一歩進んで、恋愛文学と呼ぶにふさわしい次元を切り開きました。

「わが背子に恋ふれば苦し 暇あらば 拾ひて行かむ 恋忘貝(あの人に恋いこがれているので苦しい。かなうならば、恋を忘れるという貝を拾いに行けたらいいのに)」という歌なんて、「作り話だから大胆なこと書いてもはずかしくないわ」というフィクションの強みが感じられますよね。

 それに「万葉集」は、男性と女性どころか天皇から政治犯まで同列に作品が並べられている歌集です。決して女性が下に見られていたわけではないんですよ。

 私はマンガの中で、天皇や皇室の方々を私たちと同じ、人生に悩む1人の人間として描いています。欲もあれば恐れもある、恋に悩んだり、時には権力争いの相手の命を奪うことも厭わない、皇室の方々もそんな1人の人間だと思っているからです。

 

持統天皇は「親と夫の七光り」で権力を志向した女だったのか?

 よく持統天皇は「親と夫の七光り」で権力を志向した女だと言われます。大津皇子が謀反の疑いをかけられたのも彼女の陰謀だという説があるくらいです。ところが彼女の歌を見てみると、夫が亡くなった時に残した1首を除いて、感情むき出しの歌がないんです。

 それだけ自分の感情を抑えられた方が、息子を天皇にするためだけに本当に甥を殺したりするだろうか、というのは疑問ですね。

 万世一系という価値観が強くアピールされるようになったのも、天武天皇と持統天皇の時代だと思います。「女帝の手記」にも、世俗の権力を握って政治のトップに立つだけでなく、自ら天皇の権威さえも手にしようとする男性が多く登場します。お隣の中国では、権力闘争に打ち勝てば新しい王朝を建てられますから、中国に憧れて「天皇」を「皇帝」と呼びかえようとした人もいます。

2021.07.21(水)
文=里中 満智子