1997年に公開された映画『タイタニック』は全世界で約22億ドル(約2400億円)もの興行成績を上げた大ヒット作である。
この『タイタニック』と奇妙な縁がある作品が、1985年に公開されたアニメ映画『銀河鉄道の夜』だ。この縁は“偶然の産物”でしかないのだけれど、そこを意識しながら2つの映画を見ると、それぞれの作品がより立体的に楽しめるようになる。では2つの映画が、どんな縁で結ばれているか順番に紐解いていこう。
1912年4月10日、タイタニック出港の日
全ての始まりは1912年4月10日。豪華客船タイタニック号は、アメリカ・ニューヨークを目指して、イギリスのサウサンプトン港から初航海に出発した。航海は順調に進むかに思えたが、出発して4日後に事態は暗転する。タイタニックは接近してきた巨大な氷山と接触したのだ。
関係者を始め誰もが“不沈船”と信じていたタイタニック号だが、この衝突から2時間40分後の15日2時20分、北大西洋に沈没することになる。同船には2200人余りが乗っていたが、そのうち1513人が死亡することになった。これは1912年時点で史上最悪の海難事故だった。
海に眠って70年以上…キャメロン監督との「邂逅」
1985年、アメリカとフランスの合同探検隊を組織した海洋考古学者のロバート・バラードは、深海にタイタニックの沈没地点を発見する。バラードの潜水調査はドキュメンタリーが制作され、その映像は、かねてから海の世界やタイタニック号に関心を持っていたジェームズ・キャメロン監督を大いに刺激することになる。
そうしてキャメロン監督はまず、深海を舞台にしたファーストコンタクトSF『アビス』(1989年)を発表する。だがその一方で1987年の時点で、キャメロン監督は既にタイタニック号に関する企画メモを記していたという。メモの内容は次の通り。
〈「シーンの最初と最後に潜水艦を使って撮った現在の沈没船の映像を入れて、ブックエンドのように物語をはさむこと。そこから生存者の思い出をたどるようにして、沈没のあった夜を再現すること。人間性が試される、大きな試練。ゆっくりと、しかし着実に迫ってくる運命(比喩)。死んでいく男たちと、当時の習慣により助けられる女たちと子供たち。そこに生まれた数々のドラマチックな別れの瞬間。勇気ある英雄と、卑怯な小心者。文明人としての礼儀と、動物的な本能の拮抗。これらのすべての背景として、ミステリー、あるいはしっかりとした筋のある物語が織り込まれる必要あり」(『タイタニック ジェームズ・キャメロンの世界』ポーラ・パリージ、訳:鈴木玲子、ソニー・マガジンズ)〉
2021.05.14(金)
文=藤津亮太