私は「女優になろう」なんて、だいそれた望みなど持ったことは一度もなく、自分とは無縁の職業と思っていました。ところが、ある時偶然に、人形劇を見ました。大人の人たちが指人形を動かしながら、歌ったり喋ったり汗だくになってやっています。その頃、私はオペラ歌手になるべく音楽学校に入ったのに、ちっとも声はよくならないし、曲も込みいってくると間違えてばかりいるしで、オペラ歌手になれる望みはまったくなく、しかも卒業は近づくで、なんとなく憂鬱な気分でいたのでした。人形劇を見て喜ぶ子供たちを見て、結婚して母親になったときに、こんなふうに上手に話のしてやれるお母さんになりたい、とふと思いました。
その直後に新聞で、NHKが放送劇団員を募集していることを知り、それなら、子供に話をするやりかたを教えてくれるに違いないと、なんとなく試験を受けたのです。人生とは不思議なものだと思います。いい母親になりたい、とただそれだけの気持で受けた試験だったのに、いっこうに母親にならず、いつのまにかこんなニューヨークのアパートに一人で住むことになるのですから。
アメリカに来た理由
さて、試験にパスして、NHKの専属になってからの十五年間、とにかく一生懸命やってきました。でも、なにによらず一生懸命やるとくたびれるし、そのことだけにかかりきっていたのですから、ほかのことにゆっくり目をむけたり、新しい何かを常に吸収する、というチャンスはあまりないわけです。そこで私は、一年くらい前に、しばらく仕事を休んで、ひと息いれようと決心しました。ひと息いれるのには、アメリカじゃなくて日本にいても、またよその国でもよかったのですが、まるまる仕事から離れるのと、生活を少し変えてみるためには、やはり日本から出たほうがよさそうだし、言葉の関係とか、友だちがたくさんいるということで、いちおうアメリカにしてみました。これだって絶対ここというわけじゃないので、途中でよその国へ引越してもいいし、というような、いたって自由な考えで、来てみました。
2021.05.12(水)
文=黒柳徹子