なんと1990年代には、用途を失った旧野球場のグラウンドにモデルハウスを並べて「モデルタウン」を作った例がある。「大阪球場住宅展示場」がそうだ。立地はなんば駅に直結するという一等地で、下って2003年には同地に「なんばパークス」がオープンした。
有力なハウスメーカーがそれぞれに趣向を凝らしたモデルハウスを建てただけでなく、本物の道路や街灯まで造作されるという手の込みようだ。いっぽうスタンドやスコアボードなどの構造物は撤去されなかったため、その姿はまさしく「野球場の中の町」となっていた。
この展示場の様子を、間取り図……ではなく「住宅地図」にすると上の図のようになる。図面製作にあたっては、空想地図作家の「地理人」氏にご協力をいただいた。
この1枚の地図からは、いろいろなことがわかる。普段テレビで見慣れている野球のグラウンドに住宅地ができると、まさしく「回覧板2枚分(=50人から100人規模)」の町になるのだ。
二塁手と遊撃手の定位置の間には、すっぽり2家族分の住まいが収まっている。また俊足の外野手たちは、はす向かいの家に飛び込むような快速飛球をキャッチしていることになる。
プロ野球選手たちの「守備範囲」を身近なものに置き換えてみると、あらためて驚くほど広いことがわかる。テレビ中継を見る際もグラウンドを自分の近所に置き換えて打球を追ってみると面白いかもしれない。
日本でナゾの間取りが生まれる事情(@中央区)
高度経済成長以来、日本の住宅は大きく形を変えた。寝室と食堂の分離、子ども部屋の個室化、和室から洋間へ……など、好まれる間取りにも多くの変化が生じてきた。その過渡期には、さまざまな挑戦と失敗があった。
かたや東京は世界最大の都市であり、常に土地不足で、単身者が多く、住居費も高い。そんな極端な地域性と時代性の下では、必然的に「変なビル」や「変な家」、「変な間取り」が生まれるものだ。こうした物件はいわば、日本社会の持つダイナミズムの証である。
2020.12.01(火)
文=ジャンヤー宇都