18代目中村勘三郎が導いた 運命的な歌舞伎人生

 「部屋子(へやご)」とは、小さいうちから歌舞伎俳優のもとで行儀作法や芸を学ぶ俳優です。

 子役として本名の清水大希の名前で歌舞伎の舞台に出演していた鶴松さんは、18代目中村勘三郎にその才能を見出されて、2005年5月に部屋子として中村屋一門に迎え入れられました。

 その披露の場となったのは、なんと歌舞伎座で同年の3月から3カ月にわたり行われた18代目中村勘三郎襲名披露公演の最終月でした。

 『車引』『弥栄芝居賑』『髪結新三』という演目の劇中で、部屋子披露をして、歌舞伎俳優としてのスタート地点に立ったのです。

 「歌舞伎界は、歌舞伎の家に生まれた子どもが継ぐという世襲制のイメージがあると思います。僕もそう思っていますし、勘三郎さんが亡くなられてからは、そのことを痛感しています。

 勘三郎さんは、“歌舞伎界を変えたい。実力のある人が良い役について活躍できる世界にしたいんだ”とおっしゃっていたので、僕は歌舞伎を好きになることができました。“僕がこの子を育てるから”とおっしゃってくださったので、僕の両親も信頼を置いて歌舞伎の道を歩むことを許してくれたのです。

 とはいえ、一般家庭に生まれた僕がこの世界に入ったので、それだけでもハンディキャップがあるのですが、勘三郎さんは僕のことを本当の子どものように扱ってくれました。

 ですから、師匠である勘三郎さんのことを、僕は“哲(のり)パパ”と呼ばせていただいていました。残念ながら最初に部屋子として披露していただいたときのことはあまり覚えていないのですが、その後、襲名披露公演で全国を巡業した際には、襲名披露口上に列席させていただきました。

 今思えば、部屋子では考えられないような待遇をしていただいたのだとわかります」

2020.07.15(水)
文=山下シオン
撮影=佐藤 亘
スタイリング=木村厚志
ヘアメイク=AKANE
衣装クレジット=ニット26,000円/JOHN SMEDLEY(Lea Mills Agency)