「100着ほど分けてもらえないでしょうか?」
辰野のSNSでの発信を見て、早々に防護服提供の依頼をしたのが、救命救急医の稲垣泰斗医師だ。
稲垣医師は現在、神奈川県新型コロナウイルス感染症対策本部の医療提供部門を担当し、各市の情報収集や病院およびコロナホテルと感染者のマッチング、保健所や県職員のフォローなどを行っている。
「辰野会長のFacebookで防護服製造のことを知り、コロナ感染者を受け入れている北里大学病院に100着ほど分けてもらえないかとモンベル内のアウトドア義援隊本部に連絡しました。すぐに対応してもらい、完成するまで役立てて欲しいとレインウエアも送られてきたんです。ほどなくして防護服の先行分10枚とフェイスシールド100個が届きました」
実は稲垣医師も登山やトレイルランニングを愛好している。怪我人や疾病者が出た際、医療アクセスが難しい山中などでの野外災害救急法を普及する「WMA(ウィルダネスメディカルアソシエイツ)」で医療アドバイザーも務めており、チームのマウンテンジャケットにモンベル製品を採用しているという。
「もともと医療専門ではないアウトドアメーカーが、このような大変なとき、ものづくりを通して医療現場を支援してくれたことを本当に嬉しく思っています。現場はまだまだ物資が足りない状況ですから、ありがたいです」
なぜモンベルは迅速に 防護服を作れたのか?
誰も経験したことがない状況下で、企業がこれほど素早く動けた理由について尋ねると、辰野は「主に3つある」と答えた。
ひとつめは、医療現場との連携だ。
「コロナ感染拡大に対してモンベルでは何ができるのか、初めはなかなか見えてこなかったんです。そこにたまたま病院から連絡をもらって、物資が足りずに悲鳴をあげていることを知った。現場で専門家から直接レクチャーを受け、防護服ならうちでもつくれそうだと気づけたわけです。まさかモンベルが医療用品をつくるとは思ってもいなかったけれど、お医者さんからこれで大丈夫だというお墨付きをもらったからできたこと。緊急事態だから踏み切れたことです」
2つめは、アウトドアメーカーとして培ってきた技術だ。
「登山用具は本来、人の命を守るためのものなんですよ。僕らは厳しい山に向かうアルピニストや冒険家をずっとサポートしてきたので、技術的な面からいえば、防護服やフェイスシールドはそれほどハードルが高いものではなかったんです」
実はモンベルでは農業や林業、漁業といった第一次産業に向けた製品も開発している。たとえば森林伐採現場で使うプロテクター。チェンソーでの作業時に刃が当たる可能性がある箇所に特殊保護材を使用したロングパンツやグローブ、飛んできた枝や小石から顔を守るフェイスマスクといった製品もつくっている。
直営店は休業で「売り上げは限りなくゼロに近いが……」
3つめの理由が、被災地支援を継続してきた「アウトドア義援隊」の存在だ。今回もこの活動の一環と位置づけている。
1995年阪神淡路大震災の発生直後、辰野はすぐに現地入りし、瓦礫撤去などを手伝った。そして状況を見ながら、寝袋やテントの支援物資を提供していった。このときの経験からアウトドアの道具や技術、知識が災害時に役立つことを実感したという。
その後、「アウトドア義援隊」を設立し、東日本大震災やネパール大地震、熊本地震、昨年の台風19号の水害現場などで、有志の社員やボランティアを募り活動を続けてきた。
「これまでの経験が活きているのだと思いますね、僕らは現場主義だから。それと資金。アウトドア義援隊はモンベルの経営とは別会計にしているので、医療物資もつくることができているんです」
モンベルグループの年間総売上は840億円にのぼるが、ほとんどの直営店を休業(5/14現在)しているいま、「売り上げは限りなくゼロに近い」と辰野はいう。それでも支援が続けられるのは、義援隊への寄付金があるからだ。
モンベルには、提携施設の割引や買い物時のポイント還元、会報誌配布などのサービスを提供する「モンベルクラブ会員制度」があり、97万人が入会している。会員からの寄付金や貯めていたポイントの寄贈などが義援隊の活動資金になっているという。
2020.05.23(土)
文=千葉 弓子