世界文化遺産に登録された熊本県天草には、自然もグルメも、旅をしたくなる要素がいっぱい。その魅力を2回にわたってお届けします。
海の教会と神社が見守る 穏やかな集落を散策
南蛮文化、キリスト教、西洋文化……。天草を旅していると、そんな言葉をよく耳にする。
それは、この地に独特の歴史が刻まれているから。
16世紀の天草は、キリスト教がもたらした文化とともに繁栄した。
当時のハイテクノロジーである活版印刷機で天草本が印刷されたり、神学校ではラテン語や哲学、天文学、音楽や美術など高度な教育が行われたり。
活版印刷機を使い印刷した「伊曾保物語(イソップ物語)」は、日本で最初の西洋本の翻訳本でもある。
その後、キリスト教弾圧の時代が訪れたものの、棄教をしなかった人々は密かに信仰を続け、潜伏キリシタンとして約250年もの間、独自の文化を育んだ。
そんな天草が歩んだ激動の歴史の原点ともいえる場所が、穏やかな羊角湾の入り江にある﨑津集落だ。かつてキリスト教の布教が行われていた地域には、今も連綿と信仰が息づいている。
下島の南西部にある集落に着いたら、まずは迷路のように路地が張り巡らされた住宅街へ。
密集する家々の間には、「トウヤ」と呼ばれる細い路地が何本も海に向かって延び、その先には、海面に突き出したテラスのような「カケ」がのぞく。
通りを我が物顔で歩くのは、野良猫たち。漁港には、マリア像を祀った漁船が停泊している。
そんなのどかな集落を見守るようにして立つのは、「海の教会」と呼ばれ親しまれる﨑津教会だ。
建物はゴシック様式、内部は畳敷きという珍しい造りの教会は、1934(昭和9)年の建築。
江戸時代の禁教令下に、絵踏(キリスト教徒ではないことを証明させるため、人々にキリストや聖母マリアの像などを踏ませたこと)が行われた庄屋の跡に建つ。
この教会から歩いてすぐのところにあるのが、禁教時代からある﨑津諏訪神社だ。
表向きは神社の氏子や仏教徒を装っていた潜伏キリシタンたちは、密かにキリスト教を信仰する一方で、村の鎮守であるこの神社にも参拝していたという。
近隣の非キリシタン住民も、そんな彼らを密告することなく、共存していたとも。
小さな集落を歩けば、そこかしこで、猫に甘えられ、地元の人に声をかけられる。押し売りをするでもなく、世話を焼くでもなく、さりげなくこちらを思ってくれる気遣いが嬉しい。
相手を思いやるのは、潜伏キリシタンがコミュニティーに守られたこの集落らしい優しさ。
﨑津集落の魅力は、世界遺産であること以前に、そんな温かな土地柄なのかもしれない。
2020.05.06(水)
文=芹澤和美
撮影=鈴木七絵