【第3回】志村けん
2020年3月29日(日)、志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のために亡くなった。入院が発表されてから、あっという間の出来事であった。
志村けん(以下、敬称略)の芸能においての功績はいろいろ語られている。だから、ここでは世の中で思い出されたり語らたりしていることの範疇は超えられないかもしれない。
だが、この連載は、私自身が見てきた芸能にまつわる個人史、芸能史の性質や役割もあると思って書いているところがある。だからこそ、その足跡をまとめておきたいと思う。
志村けんが世に現れたのは、1970年代のことだった。ザ・ドリフターズの一員としてテレビに登場したのだ。
私がものごころついたときには、すっかり志村けんはドリフの一員であった。その前には荒井注というメンバーがいたということを聞いたが、そのことが想像できないくらいに、志村けんはすでにドリフの中心人物であり、スターであった。
それまでは、加藤茶がグループ内での若者の代表として華のある役割を担当していたが、志村けんが入ったことで、新たにその役割を担うようになったのだというようなことも聞いた。
2020.04.01(水)
文=西森路代
写真=文藝春秋