さらさらヘアーの 中学時代の長谷川博己

 長谷川は1977年生まれ。森林に囲まれた緑豊かな東京・八王子市で育った。長谷川の実家近くに住む住人が話す。

 「博己くんのお父さんは武蔵野美術大学の名誉教授で建築史家でした。当時、ご両親と妹さんの4人家族が住んでいた白い洋風の家は、お父さんが軽井沢をイメージして設計したそうです。木が生い茂っていて、庭は森のようでした。博己くんが子供の頃はよく自宅前の公園で元気に遊んでいましたよ。

 博己くんはもうとにかく透き通るように肌が白い子で、お母さんそっくりなんです。お父さんは昨年4月に病気で亡くなりましたが、博己くんも明智光秀役を見てほしかったんじゃないでしょうか。最近はお母さんが都心に住む博己くんのマンションに住み込んで、食事を作るなど家のことを手伝っているようです」

「レイダース/失われたアーク(聖櫃)」で映画の虜に

  雑誌「JUNON」2011年5月号でのインタビューによれば、長谷川は3歳の時に父親に連れられて観た映画『レイダース/失われたアーク(聖櫃)』に感銘を受け、早くも映画の虜になったという。小学校3年生の時には父親の転勤で1年間イギリス生活を送ったが、帰国すると映画館へ通い詰めたという。

 地元の小学校を卒業後は、都内にある中高一貫の私立男子校へ進学。中学の同級生が当時を振り返る。

 「当時は“おぼっちゃまが通う学校”みたいに言われていましたが、長谷川もその1人だったと思います。毎朝、最寄り駅から学校行きのバスに乗ると長谷川も乗っていて、通学中に話をすることもありました。

 彼は先輩に誘われてバスケ部に入っていたのですが、当時はまだ身長が160センチくらいしかなく、レギュラーではなかった。バスケ部の顧問が鬼監督で、口癖は『この環境で男は鍛えられるんだ。どこで誰が見ているかわからないから死ぬ気でやれ!』だったそうです。

 毎日のように練習があり『とにかく厳しい……』って愚痴をこぼしていましたね」

 「彼は映画が好きで、時間を見つけては自転車でレンタルビデオ店に通っていたようです。映画やドラマで見かける長谷川は寡黙で硬派なイメージですが、当時はまったく違いましたよ。

 バス停近くで女子部の子をみつけるたびに、長谷川と『あの子、かわいいね』とか話して盛り上がった記憶があります。学校の敷地内には女子部もあったのですが、学園祭の日程も別々で交流も禁止。バスも女子部の生徒と同乗してはいけないという校則があり、悶々としていました(笑)」

2020.03.22(日)
文=「週刊文春デジタル」編集部