私の5畳しかなかった部屋に 居候していたマリア

 横浜の関内から少し歩いたところにある私の5畳しかなかった部屋には、一時期マリアという聖なる名前の女の子が何カ月も居候していて、彼女のホストクラブの未払いの売掛を立て替えた分は、今でも返してもらってない。

 なぜか1回だけ二人でレインボーブリッジまで車でいったことがあったのだけど、今思い出してみれば、あれは私が彼氏だと信じてたキャバのスカウト兼ボーイが10万円返してくれないまま、父親が病気だとかいって連絡が取れなくなった直後だった。

 居候なりに気を使ったマリアが誘い出してくれたのか、私が泣きついて付き合ってもらったのかは忘れたけど、深夜のレインボーブリッジを目指して、カーナビで間違えて同名のカラオケ店を目指しちゃって、5分走って到着して爆笑したのはよく覚えている。

 私たちは何も持っていなかったから、無防備に社会に放り出されて、たくさん失くし物をして、それを誤魔化すために爆笑して、爆笑した思い出って絶対誰かしらと一緒にいる思い出で、そう考えると誰かと繋がっていなかったとしたら、全然違う思い出だったんだろうと思う。

対極にあるように見える女の在り方

 ニューヨーク・マガジンに掲載された女性ジャーナリストの取材記事を元に作り上げられたという映画は、ストリップクラブで出会った女の子同士の、今となってはバカみたいにべったりくっついていた時間を紐解く物語だった。

 事件に帰結したことよりも、どうしてあんなに強く結びついていたのかが大事なことのようで、それがどうして夜の世界を出たらプツリと切れるくらい儚いのかがもっと大事なことなのだと言われているような気分になった。

 ストリップクラブはオトコがオトコのために作った城だけど、その中に生まれた空気は女の子たちが女の子たちのために作ったものだった。不安定で脆いけど、強かで眩い。

 記事を書こうと狙う女性記者と、元ストリッパーの主人公の取材風景を挟んで映画は進む。ジャーナリストと精神科医の間に生まれ、アイビーリーグを出た記者と、両親が立ち去った後おばあちゃんに育てられ、高校すら出ていない元ストリッパーは訝しみ合い、二人の対比は映画のもう一つの軸にもなっている。

 でも二人は相反するものなんだろうか、とも思う。対極にあるように見える女の在り方は、オンナとかいうもの一つの中に矛盾しながら共存しているものなんじゃないか。10年前は片方で、15年前はもう片方だったような私には、なんとなくそう見える。

可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい (Bros.books)

著・鈴木 涼美
講談社
2020年1月31日 発売

» Amazonで購入する

『ハスラーズ』

TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開中
http://hustlers-movie.jp/

※こちらの記事は、2020年2月18日(火)に公開されたものです。

記事提供:文春オンライン

2020.02.27(木)
文=鈴木涼美