ストリップクラブの場で結びつき、離れるとバラバラに

 リーマンショックによる景気悪化で商売上がったりになったストリッパーたち4人は、裸になって踊るのをやめて、街で捕まえた男性を酔わせてクラブにカードを切らせ、分け前をもらうという作戦で荒稼ぎを始める。

 効率化のためにケタミンやMDMAを使用するようになり、「事業拡大」を狙ってグループに複数の新メンバーを招き入れ、クラブを通さずに自分たちだけでお金を引き出そうと考え、中にあった連帯は緩み、それぞれがお互いの存在に不信感を持ち出し、やがて男性らの通報によって犯行は明るみに出る。

 弱者から搾り取ったお金で遊び歩くウォール・ストリートのクソオトコのお金を横取りして何が悪いの、と息巻いていた彼女たちは裁かれ、今となっては会ってすらいない。

 ある種のクライムフィルムでありながら、映画全体が華やかなガールズムービーのような色味を帯びているのは、この話が女の子たちの、一瞬の、強くて楽しい、繋がりの物語だからだ。

 バブリーな買い物や贅沢なアパートメントは単なる成功の証ではなく、彼女たちの過ごした時間は単なる狂乱の夜ではなく、彼女たちが一瞬でもこの世界を生きるに値するものと感じるくらい強固で尊い繋がりを形づくるものだったのだと思う。

 彼女たちはストリップクラブの場があったからこそ結びつき、ストリップクラブから離れてバラバラになっていった。

「救われた」側にいると信じたい

 夜の女の子たちはよくつるみ、固くくっついて、べったり行動を共にする。だからこその諍いや裏切りはあるし、罵り合う時は口汚く、それでもめげずに繋がっていようとする。それは、一人では毒々しい男に喰われてしまいそうな危険な世界を、塊になって生き抜く便宜的な側面も持っている。

 でもそれだけじゃなく、誰もが惨めになり得る世の中で、自分の人生ができるだけキラキラしたものであって欲しいと思うからでもあるし、救われた側にいると信じたいからだし、孤独だからこそ見えるものに蓋をしてしまいたいからでもある。

 私には今友達がいて、そのうち何人かはとても長い付き合いで、それほど長くなくともお互いの生き様を祝福し合える真っ当な仲良しもいて、面白い話をわけ合える人もいる。

 夜の世界にいた頃のほとんどの友達とはもう随分と連絡を取れていなくて、正直本名をまともに覚えていない子も多くて、生きているか死んでいるかもよく知らない。

 それでも彼女たちと一緒にいた時は、今の友達とは比べ物にならないくらい土足で裸を見せ合うみたいな付き合いで、平気で何日も泊まりあったり、お金貸したり、シングルベッドで一緒に寝たり、ムダ毛抜きあったりしていた。

 仕事相手は大抵オトコだったし、仕事仲間というほど一緒に働いていたとも限らなくて、でも72時間一緒にいるみたいなことは平気で何回もあった。

 あんなに、背中をくっつけあって遊ぶような仲間はもういないし、いないのは必要がないからなのかもしれないけど、でもちょっと寂しいとは思う。

2020.02.27(木)
文=鈴木涼美