【今月のこの1枚】
青木野枝『霧と山』

府中市美術館での個展は
度肝を抜かれるほどのスケール

《霧と山》2019年 鹿児島県霧島アートの森展示風景 撮影:山本糾 courtesy of ANOMALY
《霧と山》2019年 鹿児島県霧島アートの森展示風景 撮影:山本糾 courtesy of ANOMALY

  それがあることで、場の雰囲気がガラリと変わってしまっている……。そのモノ自体はどちらかといえば、繊細でささやかな佇まいであるというのに。彫刻家・青木野枝の作品に触れると、いつもそんな印象がもたらされます。

 掲出の作品《霧と山》も、まさにそう。こちらは府中市美術館での個展、『霧と鉄と山と』で、場に合わせ佇まいを変えたかたちにて出逢えます。

 青木作品を繊細でささやか、と言いましたが、それはあくまでも対峙したとき感じられる雰囲気のこと。実際のモノとしては今作を含め、展示空間を埋め尽くすほど大きかったりします。ちょっと度肝を抜かれるほどのスケールです。

 でも、その巨大な物体は何か具体的なかたちをとらないし、すっかりその場に馴染んでしまっている。それで、モノだけが突出した感じを与えないのでしょう。

 青木作品で主に素材として用いられるのは、鉄です。重厚さの代名詞のような鉄を使っているというのに、この軽やかさはどうしたことか。まるでこの室内だけは、地球の重力が無効になってしまったかのようではありませんか。

 その場の雰囲気を優しげで親密なものに変えてしまうだけでは飽き足らず、青木作品は地球、いえ宇宙を司る物理のルールさえ変容してしまっていると思えてきます。

 そんな妖しい力まで有する青木作品のこと、はたしてなんと呼び習わせばいいかは悩みどころです。彼女の手が生んだ構造物であるのはたしかなのだけど、いったいこれは何なのかと考え出すと判然としない。

 ある建築家はかつて、構造物を分類する基準として、窓があれば建築であり、なければ彫刻だと言いました。内部構造と用途があれば建築で、なければ彫刻ということです。

 これに則すると、青木作品は彫刻と呼ぶのがいい。作家本人も自身で「彫刻をこの世界にたてる」との表現を使っていますから。彫刻とは絵画などと違って、実質ある物体を世に出現させるところに特徴があります。

 彫刻をつくるという営みも、思えばちょっと不思議です。すでにこの世はいろんな事物に溢れているというのに、そこにさらなる何かを付け加えんとするのはなぜ?

 青木野枝の場合は、この問いへの答えが明確にあります。すでに大意こう書き記しているのです。

 見たいけれどこの世界にないもの、それをつくろうとするのが自分にとっての彫刻である、と。

 なるほど、見たいけれどないものがあるなら、つくるよりありません。

 個展会場では、彼女が見たかったのがいったいどんなものだったか、想像を巡らせながら作品を観て回ると楽しそう。ひと通りの作品と対面し終えたころには、自分が本当に見たいものも、かなりくっきり脳裏に浮かんでいるはずです。

『青木野枝  霧と鉄と山と』 

みずから溶断・溶接した鉄という素材を用いながら、軽やかで生命感溢れる作品をつくり出してきた彫刻家による個展。展示空間に合わせて構想された新作や、石膏を用いる「原形質」シリーズ、最初期の作品までが並ぶ。

会場 府中市美術館(東京都・府中市)
会期 開催中~2020年3月1日(日)
料金 一般 700円(税込)ほか
電話番号 03-5777-8600(ハローダイヤル)
https://www.city.fuchu.tokyo.jp/art

2020.01.09(木)
文=山内宏泰

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※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

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