江戸と東京が響きあう日本橋
グルメに壮大な建築に散歩は愉し!

 伝統を受け継ぐ街でありながら、革新的な商業施設が続々と誕生し、訪れるたびに発見がある日本橋。

 その繁栄のルーツをさかのぼれば、やはり徳川家康の江戸づくりにたどりつきます。

 家康により江戸五街道の起点とされた日本橋は、この国を導く中心の街となっていくのです。

 作家・門井慶喜さんが実際に日本橋を歩き、歴史を見つめ、ご案内。

 江戸時代から続く老舗や明治の名建築、最新スポットなど、街めぐりの愉しみは多彩です。

» 【東京の昔】知られざる皇居の秘密①を読む
» 【東京の昔】知られざる皇居の秘密②を読む
» 【東京の昔】日本橋はなぜ一流なのか①を読む


江戸のターミナルだった日本橋は
いつの世も「ニッポンの縮図」

 江戸の雰囲気を求めて東京を歩くなら「まず、日本橋ですね」という門井さん。

 では、江戸時代の日本橋とはどのようなところだったのでしょうか。

「ここが日本なんだ! という説得力のある街でした。五街道の起点であり、江戸の玄関口としてつくられた。東京駅のような“ターミナル”っていうのが近いのかな。店を開けばステイタスになるところなので、江戸で成功を目指す地方の商人は、日本橋を目指したわけです」

 こうして全国から店が集まり、貨幣をつくる金座と銀座も設けられ両替商が集まり、日本橋は目覚ましい発展を遂げます。そして首都にふさわしく、自由と多様性に富む地でもありました。

「街道沿いには大きな店が建ち並んでいるけれど、一歩奥に入ると長屋が連なっている。そこには、すべての人がいました。武士も商人も、松尾芭蕉みたいに地方から来た俳諧師も。

 そもそも江戸って、武士と農民の境目が極めて曖昧でした。武士も帰農することがあり、逆に農家の子供たちも頭が良ければ武士になったり。いろいろな人がいて、新しい仕事がある。身分差があっても好都合の土地柄だったと思います」

 門井さんは、日本橋に存在する地方のアンテナショップの多さにも興味が。

「三重商人が興した三越の前に『三重テラス』ですか。ここには今でも全国のものが集まっている。日本橋は変わらず“日本の縮図”ですね」

2020.01.04(土)
文=上保雅美
撮影=佐藤 亘