哀愁漂うシベリア鉄道の起点
ウラジオストク駅

荷物検査を済ませれば、駅の構内に入ることができる。待合室には美しい天井画が。

 きれいな建物が立ち並ぶなかで、ひときわ目に焼きついているのがウラジオストク駅だ。1894年に完成し、1912年にネオ・ロシア様式に改装された駅舎は、まるで時が止まったかのようにクラシック。こぢんまりとした駅は人で混み合うこともなく、その静けさがまた、極東の哀愁を感じさせる。天井には、モスクワとウラジオストクの風景が描かれていた。

駅に隣接する港から、金角湾と丘陵地に広がる街並みを一望。

 ホームの中央にあったのは、「モスクワより9288KM」と刻まれた石造りの距離標。ここからモスクワまで、日本列島の3倍もの距離があるとは……。あまりの遠さに気が遠くなりそうだが、今から100年も前に、この旅程を一人で遂げた日本人女性がいる。

 それは、歌人の与謝野晶子。彼女は夫・鉄幹に会うべく、福井県の敦賀港からウラジオストク港に渡り、鉄道に乗り換えてモスクワへ、そこから陸路でパリにたどり着いたという(しかも、7人の子を日本に残して!)。もしかしたら、旅に一番大切なエネルギーは、距離やビザの取り易さではなく、情熱なのかもしれない。

海沿いの散策路やビーチは、人々の憩の場。

 ところで、ウラジオストクという街の名は、ロシア語で「東方を征服せよ」という意味を持つ。街並みに似つかわしくない名が付いているのは、その歴史が関係している。

 1860年に一帯の開発が始まった当時、ここは極東におけるロシア帝国の軍事拠点とされ、ロシア海軍の太平洋艦隊の母港だったのだ。そのため、1950年代から30年以上も、市内居住者を除いて立ち入り禁止となっていた。

 1989年にソ連国民に、ソ連崩壊後の1992年にようやく外国人に開放。長くベールに包まれていた街は今、治安も比較的よく、フォトジェニックで、料理もおいしくて、私にはとても親しみがわく場所だった。

大きな通りから1本路地に入れば、心をつかむ風景が。街を行く女性のファッションも素敵。

2018.01.16(火)
文・撮影=芹澤和美