「吉沢 亮」は気配を消せる俳優
語弊を恐れずに言うと、エヴァンはミュージカルの主役らしからぬ青年だ。スター性はまるでないし、友達はおらず、クラスでも透明な存在。社会不安障害を抱えており、気になる女の子に話しかけられても、うまく応えられず拒絶するかのような態度をとってしまう。
普通に考えれば、『国宝』の喜久雄や『キングダム』シリーズで秦国の王・嬴政(えいせい)のような、華やカリスマ性のある役を演じるような俳優は、あまりキャスティングされないキャラクターだと思う。なぜなら、ほんのわずかでもスター性を観客に感じさせてしまったら、物語の説得力を失うからだ。『ディア・エヴァン・ハンセン』はSNS時代の孤立という現代的なテーマをはらんでおり、リアリティは重要だった。
ところが、である。最初の登場から、吉沢は、人とろくに目も合わせられない、自分に価値はないと思い込んでいる孤独な少年、エヴァンに驚くほど同化していた。
吉沢は、これまでにも何者でもない青年役を演じている。特に映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』(呉 美保監督)での、コーダ(耳の聞こえない親を持つ子供)であることに反発し、自分を見失いかけた時の主人公の虚さは、怖いくらいだった。吉沢は気配を消せる俳優なのだ。
木から落ちて腕を骨折し、ギプスをしていても誰にも気にかけてもらえなかったエヴァンが、同級生のコナーの死をきっかけについた小さな嘘によって、「コナーの親友」と注目されるようになる。消え入りそうだったエヴァンも、少しずつ人と交流できるようになり生気を取り戻す。そのコミュニケーションのささやかな変化を吉沢は丁寧に表現。物語冒頭のエヴァンは、人と対面するのが苦手で、腰が引けて、いやいやいやと振る「手」の方が、言葉よりも多くを語るようだった。その手の表現がちょっとヘンでユーモラス。映画『国宝』の歌舞伎俳優役のために1年半、歌舞伎の稽古をした時に、指先にまで神経を行き渡らせることを学んだというから、そこから生まれたアイデアなのかもしれない。
「一人じゃない」。吉沢が自分自身に言い聞かせるような印象的なシーン
本作の興味深いところは、孤独なのが主人公だけではないことだ。体格も性格もエヴァンとは対照的なコナー・マーフィも孤立しており、裕福で何不自由ない家族に見えたマクフィー家も、妹ゾーイもコナーの両親も、コナーと心を通わせられなかったことに傷つき、寂しさを抱えている。
日本版の演出では、エヴァンやコナー、ゾーイ、ジャレッドなど、高校生の登場人物たちには、影のような存在としてダンサーがパフォーマンスする。SNS世代のコミュニケーションの二面性やどこか闇を抱えている様子を表していた。
コナーの存在を忘れないように、コナーのように人を孤立させてはいけないと「コナー・プロジェクト」立ち上げに向けて、皆が歌い上げる「消えていい人はいない/Disappear」、コナーとの思い出をエヴァンがスピーチするところからのクライマックス「誰かが見つけてくれる/You Will Be Found」は涙なしにはいられない。誰もが抱える自分の中の孤独に、そっと手を触れられたみたいに。エヴァンの言葉に感動し、SNSで拡散される様子が、視覚的にも表現され、観客は物語の世界にすっぽりと取り込まれる。
「きっと誰かが見つけてくれる」「一人じゃない」。エヴァンがかつての自分に、吉沢が吉沢自身に言い聞かせているようにも見える美しい場面だった。
