お土産にセックス・ピストルズのレコードを
こぐれ そして、帰国から数年後、残念ながら杉山さんの奥さんが亡くなったことをきっかけに、私は洋服部門だけを引き取って、2CVは会社として独立するのよ。
近田 2CVの経営については、後ほどゆっくりお聞きします。そういや、俺、2CVの洋服を着てたおかげで、ニューヨーク・ドールズのメンバーと親しくなれたのよ。
こぐれ どういうこと?
近田 1975年8月に、内田裕也さんのプロデュースで「ワールド・ロック・フェスティバル・イーストランド」というツアー形式のフェスが開催された。後楽園球場で行われた東京公演でキーボードを弾くことになった俺は、さっき話に出たセントラルアパートメントの中庭で開かれた記者会見に参加したんだけど、そこに来てたドールズのメンバーが、俺の着てた2CVの青いジャケットを気に入ったらしく、話しかけてきたっていうわけよ。その後、東京でもニューヨークでも遊んだよ。
こぐれ お役に立てて光栄です。その頃、近田と私たちもまた、急速に仲良くなっていったのよね。
近田 そんな縁が実を結んで、僕のバンドである近田春夫&ハルヲフォンが1977年にリリースした『ハルヲフォン・レコード』というアルバムのジャケットは、徹ちゃんが撮影している。
徹 六本木の芋洗坂にあったビルで撮影したの、覚えてるよ。
近田 あのアルバムはさ、音楽性としてはエドガー・ウィンター・グループの影響が色濃いんだけど、ジャケットの出で立ちは、完全にパンクなんだよね。だから、パッケージが中身を反映してない(笑)。というのも、レコーディングが終わってからジャケットを撮影するまでのほんの短い間に、徹ちゃんから教えられて、パンクの洗礼を受けちゃったから。徹ちゃんは俺に、ロンドン土産として、セックス・ピストルズのレコードをくれたよね。
徹 ちょうどあの直前、講談社が創刊した「Apache(アパッチ)」っていう雑誌に頼まれて、僕はロンドンでセックス・ピストルズを撮影してたんだよね。あの時、ついでに彼らが出入りしていたブティック「セックス」も撮ったんだけど、あの店の写真は他に残ってないらしく、いまだに使わせてくれっていう引き合いが来るよ。
近田 ピストルズの仕掛け人であるマルコム・マクラーレンと、そのパートナーだったデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが営んでいた店だよね。
徹 そう。後に「セディショナリーズ」「ワールズ・エンド」と改名を重ねる。
近田 パンクとともに、徹ちゃんから教えられたのが、歌謡曲の魅力だった。ひでちゃんと徹ちゃんの家に遊びに行くと、いつも歌謡曲がガンガンに流れててさ。その影響で、ハルヲフォンの仕事での移動中は、大音量のカーステレオで郷ひろみや平山三紀(現・平山みき)ばかりを聴きまくってた。
こぐれ その結果として1978年に生まれたアルバムが、『電撃的東京』ってことね。
近田 そう、あれは、いろいろな歌謡曲をセックス・ピストルズ調にアレンジするというワンアイデアだけで作った一枚だから、ひでこ・徹ご夫妻に出会わなければ、決して誕生することはなかった。だから、おふたりには感謝してます(笑)。
こぐれ あのジャケットのイラストは、私たち夫婦と仲が良かったペーター(佐藤)がエアブラシを使って描いてるのよね。
近田 ペーターも歌謡曲が大好きでさ、股旅姿で美空ひばりを朗々と歌ったりしてたよね。1994年に、48歳の若さで亡くなっちゃったのが惜しまれるよ。
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こぐれひでこ
1947年、埼玉県生まれ。東京学芸大学卒業後、渡仏し、パリで生活する。帰国後は、自らのアパレルブランド「2CV」を設立し、デザイナーとして活動した後、イラストレーターに転身。食やライフスタイルに関するイラストやエッセイを執筆し、多数の著書を発表する。現在、ウェブサイト「ROOMIE」にて、2000年から続く長寿連載「こぐれひでこの『ごはん日記』」を毎日更新中。夫は、雑誌や広告の第一線で活躍する著名フォトグラファーの小暮徹氏。
https://www.roomie.jp/rkfeature/kogure-hideko
近田春夫(ちかだ・はるお)
1951年東京都世田谷区出身。慶應義塾大学文学部中退。75年に近田春夫&ハルヲフォンとしてデビュー。その後、ロック、ヒップホップ、トランスなど、最先端のジャンルで創作を続ける。文筆家としては、「週刊文春」誌上でJポップ時評「考えるヒット」を24年にわたって連載した。著書に、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア)、『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』『グループサウンズ』(文春新書)などがある。最新刊は、半世紀を超えるキャリアを総覧する『未体験白書』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。
X @ChikadaHaruo
