30代で再びアメリカへ。無視できない「違和感」が

――『手紙 ~拝啓 十五の君へ~』が大ヒット。その後、2014年に活動を休止して、アメリカに留学されます。アメリカに改めて渡ったのはなぜだったのでしょうか。

 ちゃんと音大で学んだ経験があるわけでないので、直感的に音楽を作ってきたんです。でも、自分のパレットに絵の具はせいぜい5、6色しかないのに、500曲以上作ったからもうやり尽くしてしまった感じがすごくあって。もっと色を見つけるために音大に通うことにしました。日本の大学という選択肢もあったんですが、同級生も先生もやりづらいだろうし、私も一から学びたかったので、アメリカを選びました。

――約14年ぶりとなるオリジナルアルバム『SHADOW WORK』というタイトルは、心理カウンセリングに由来しているそうですね。アメリカでカウンセリングを受けられていたとのことですが、再び学び始める中で、ご自身の内面や過去の経験と向き合うようになったのでしょうか。

 大学に通っている間は、勉強に集中していたので、自分のことを深く考えずにいられたんです。でもその後だんだん家庭内だけでなく、外での人間関係もうまくいかなくなってきてしまって。

 大人になって住む場所も変わって、もう昔のように立ち回らなくてもいいのに、幼い頃にハーフとして生きるために身につけてしまった性格や感覚から脱せられず、苦しくなってしまったんだと思います。思い描いていた理想の母親に、自分がなれていないという苦しみも正直ありました。

 それ以前から、カウンセリングに通っていた友人から「アンジーも行ってみたら?」ってたびたびすすめられてはいたものの、自分は強い人間だと思っていたので受け流していました。ただ、最初は、冷蔵庫の機械音ぐらいの小さな違和感だったのが、窓の外で鳴る車のクラクションくらいの大きさになってきて、最終的には家の中で非常ベルが鳴り続けているような感覚にまでなってしまって。無視できないところまで進んでしまったのでカウンセリングを受けることにしたんです。

――ギリギリのところで、カウンセリングを受けることを決心ができたんですね。どのようなカウンセリングに通われたのでしょうか?

 最初は友人が通っている同じ先生のところでと思ったのですが、空きがなかったから、別の先生を紹介してもらい、「私、トラウマなんてないと思います」とか言いながらトラウマ治療を専門にする先生にみてもらったんですね。そしたら「間違いなくあなたにはトラウマがあります。ここで合ってますよ」って言われてしまって。

――トラウマを抱えていますと言われ、腑に落ちる感覚はありましたか?

 人って自分がつらい体験をしても「大したことなかった」と思いたい生きものなんですよね。「こんなことされてつらかったけど、別に珍しい体験じゃないよね」って思い込もうとする。でも、カウンセリングで「大したことじゃなかった」と言ったら「一回、深呼吸してみて」と先生に言われたのでその通りにすると、ずっと押し込めていた悲しみや怒りが溢れてきて、涙が止まらなくなったんです。そこで初めてトラウマを抱えていたことに気づきました。

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