太陽や月の運行を基にした生活
作業が一段落した昼過ぎ、責任者のラシッドさんが、私たちを村のスーク(市場)に連れて行ってくれた。広大な広場には、野菜のスークもあれば、日用雑貨のスークもある。炎天下の地面にゴザを広げて、その上にタマネギやニンジンを並べただけの店もあれば、簡素な日除けの屋根の下に、スパイス類や穀物類をカゴに入れて量り売りしている店もある。巨大なスイカを売る屋台を見つけ、私は工場で作業を続ける人々のために、それをおみやげとした。
右:真剣にトマトを選ぶ男性。イスラム圏では、スークでの買い物は男の役目である。
工場に戻ると台所のコンロの上では、モロッコ名物、野菜たっぷりのタジンが美味しそうな湯気を上げていた。次々と運び込まれるバラの選別作業と蒸留は、休む暇なく行われるので、手の空いた人から徐々にご飯を食べるのがルールだ。私たちも従業員のみんなに混じって車座になり、サラダとタジンの昼食を済ませて、またバラの検品へと戻って行った。
太陽が西に傾く頃、東の空には満月が昇った。ちなみに5月のモロッコでは、サマータイムを導入しているが、工場の作業が「旧時間」で進められていたのが印象的だった。それは太陽や月の運行を基に生活リズムを決めるという、昔ながらの村の習わしなのだろう。郷に入れば郷に従えで、サマータイムに合わせた時刻は忘れて、旧時間の生活を楽しんだ。
夜になってもバラの選別作業は続く。時折、工場の屋上に上り夜空を眺めながら深呼吸をすると、ひんやりとした外気にも甘いバラの香りがして、幸福感に包まれた。満月がゆっくりと東の空から上昇し、ほぼ頭上に来る頃、私たちは作業を終えて寝る用意をした。
深夜の蒸留部屋では、スタッフが寝ずの作業を続けていた。夜の工房は静寂に包まれている。やや暗めの電球の灯りが、不思議な光と影を織りなし、蒸留器の火加減を見守るスタッフの姿を浮かび上がらせる。その光景は、まるでレンブラントの絵画のようだ。
耳を澄ますと炎の燃える音、微かな蒸留器の振動、水の流れる音などがした。突然、自分がなぜ水蒸気蒸留に心惹かれるのかがわかったような気がした。
2016.03.11(金)
文=岡本翔子
撮影=齋藤順子、岡本翔子