占星術研究家の岡本翔子さんが愛してやまないモロッコ。その美しい砂漠へ向かう街道の途中、バラの谷と呼ばれる小さな村で、モロッコ美容に欠かせない魔法の水「ローズウォーター」を精製する現場に潜入!? そこで見た、バラ色一色の世界とは――。

» 第1回 サハラ砂漠へ向かう街道にあるバラ畑で モロッコの“魔法の水”が生まれる
» 第2回 モロッコで早朝に手摘みされる バラの原生種ダマスクローズ

可憐に咲くバラは“天からの授かりもの”

左:滞在中に訪れた国営のバラ蒸留工場。地面にはその日蒸留される数百キロものダマスクローズが敷き詰められていた。
右:街道沿いの小さな土産物屋では、家庭用の蒸留器で手作りローズウォーターを製作中。背後に見える“なんちゃってバラ製品”の品質は保証できません(笑)。

 モロッコというイスラム圏でのバラの蒸留に心惹かれるのは、水蒸気蒸留法に用いる蒸留器の発明が、10~11世紀に活躍したイスラム世界屈指の知識人、イブン・スィーナーによるものとの説があるからだ。10歳で聖典クルアーンを暗唱し、16歳で医学を究めた彼は、哲学や自然科学のみならず、錬金術などの神秘思想にも精通した“知の巨人”だった。

 彼の書いた『医学典範』には、多くの薬用植物の説明がある。モロッコの街を歩いていると、彼の名前を冠した通りや薬局、病院、アパルトマンなどを多く目にする。よほど彼の存在はこの国の人々の心に深く浸透しているのだろう。

 イブン・スィーナーが生まれる以前のイスラム社会では、8、9世紀頃から既にバラの蒸留が行われていたが、蒸留技術の精度をより高めたのがイブン・スィーナーだと、マラケシュ在住の植物博士が教えてくれた。現在では世界的にポピュラーな植物療法(フィトセラピー)や、芳香療法(アロマテラピー)は、ほかならぬイスラム圏で始まったものなのだ。

背景に雪を頂くアトラス山脈が見えるケラア・ムゴナ村の夕暮れの風景。ひときわ目立つのが、人々の心の拠り所となるモスクだ。

 しかもその背景には、イスラム世界独自の考え方がある。自然と人間は、共存すべき関係であり、「神」から授かった貴重な植物を大切にせよと説く。それは自然というものの神秘に、畏敬の念を抱くことにほかならない。この“バラの谷”と呼ばれるケラア・ムゴナの地は、「神」から選ばれた土地であり、バラは“天からの授かりもの”なのである。

 1年にたったの数週間しか開花の時期がないダマスクローズ。その新芽が出てくる3月の終わり頃、ムゴナの人々は祈るような気持ちで恵みの雨を願い、急な寒さで霜が降りぬように畑を見守る。そして例年通り、可憐なつぼみが膨らむ様にホッと胸をなで下ろし、バラの花が開き始める頃を見計らって、蒸留の準備を始める。その瞬間に立ち会えたこと自体が、奇跡のようだと感じた。

2016.03.11(金)
文=岡本翔子
撮影=齋藤順子、岡本翔子