◆「紐育物語」(1983年)

編曲には、細野晴臣と坂本龍一が名を連ねる。YMOが現役バリバリで活動していた当時、この2人が森進一の楽曲に関わったという事実は少なからぬ驚きを世に与えた。

 いつかは必ずミュージシャンとしてメジャーデビューを果たすという夢を抱く同棲中の5歳年下の恋人のため、私はOLとして得た給料の大半を彼との生活費に充てている。でも、定職に就くこともなくブラブラと日々を過ごす彼は、そのお金を決まってパチンコや競馬に浪費してしまい……。

 という歌ではない。それでは「ひもそだて物語」だ。紐育はニューヨークと読む。

 こちらは、作詞は松本隆、作曲は細野晴臣。「冬のリヴィエラ」と好対照をなす、はっぴいえんどの僚友同士によるコラボレーションである。このタッグは、松田聖子の「天国のキッス」「ガラスの林檎」(ともに83年)、「ピンクのモーツァルト」(84年)、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」(81年)、「風の谷のナウシカ」(84年)などを生み出している。

 「紐育物語」は、愛する女と暮らしたニューヨークを後に、長距離バスでマイアミを目指す男の独白の形を取った名曲だ。

 “人生の残り半分 せめておまえと暮らしたいけど 夢さ…幻さ…”と歌っているが、森進一は、この当時の妻だった大原麗子と2年後の84年に離婚し、その後の86年に結婚した森昌子とも2005年に離婚する。まさに夢であり幻であった。けだし松本隆は予言者である。

 ところで、この作品のジャケットをもう一度見てほしい。白いTシャツの袖をまくったスタイリングは、反町隆史の着こなしを15年近く先取りしている。後に「おふくろさん」の冒頭に台詞を付け加えたことで川内康範から抗議を受けた際、森進一は心の奥で、“言いたい事も言えないこんな世の中じゃ POISON”と毒づいたのではなかろうか。

 ちなみに、イチローがニューヨーク・ヤンキースからマイアミ・マーリンズに移籍することが伝えられた際、日刊スポーツのウェブサイトの連載コラム「高原のねごと」は、この楽曲を引き合いに出した。巧いなとうならされた。

この他にも、森進一が世界を股にかけたご当地ソングとしては、「モロッコ」「冬の桑港(シスコ)」が挙げられる。

2016.02.03(水)
文・撮影=ヤング