◆「盛り場ブルース」(1967年)

東京では「MORIVA COFFEE」というカフェのチェーン店を見かけるが、あれとは関係ない。この曲名は「もりばブルース」ではなく「さかりばブルース」だから。

 森進一との世界ツアーは、日本へと帰港した。ここで紹介したいのが「盛り場ブルース」である。

 8番まで延々と続くこのナンバーは、日本各地の盛り場の地名を歌い込む。東京ならば銀座・赤坂・六本木、北海道ならば洞爺・すすきの・定山渓、名古屋ならば栄・今池・広小路、大阪ならば南・曽根崎・北新地……。5分36秒で、24カ所の盛り場を巡ることができるという寸法だ。

 この見事な詞を綴ったのは、宇多田ヒカルの母である藤圭子の兄・藤三郎。そして、このマスターピースは、71年になってあの阿久悠がリライトした歌詞を引っ提げ、サウンド面においても誠に恐るべきヴァージョンアップを施された上で転生する。

 それが、ムード歌謡グループ、里見洋と一番星による「新盛り場ブルース」である。

「新盛り場ブルース」を収めた里見洋と一番星のアルバム『新盛り場ブルース』。ライナーに記された“ショッキング演歌!”というキャッチコピーそのままの名盤だ。内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」の変貌ぶりにも腰を抜かす。

 サンタナやエル・チカーノといったラテンロックのグループを彷彿とさせるファンキー極まりないアレンジが強烈だ。咆哮するオルガン、グルーヴィーなパーカッション、情念に満ちたヴォーカル、そして無闇にエロいあえぎ声(といっても男が女に扮したものだが)が忘れようにも忘れられない刻印を胸に残す。

 最大のクライマックスは、オリジナルにはなかった“サッカリバ! サッカリバ!”というコーラス。このフレーズは、言葉本来が持つ意味を離れ、諸星大二郎が漫画に描くがごとき文明から隔絶された部族が発する呪術性に満ちた雄叫びを想起させずにはおかない。

 このグループの来歴も興味深い。60年代半ば、福岡のナイトクラブで、里見洋とロス・カンターノスという名のラテンバンドとして活動を開始。その後、67年に上京し、当時全盛を誇ったグループサウンズに装いを変え、レオ・ビーツなる名前でレコードデビューを果たす。そこに女性ヴォーカルを迎え、70年にはルートNo.1と改名。さらに71年にムード歌謡グループへと転向し、メンバーチェンジを経て里見洋と一番星となる。

 ラテン、ハワイアン、カントリー&ウエスタン、R&B、演歌など、さまざまな出自を持つミュージシャンたちが離合集散を重ねて築き上げられたムードコーラスという日本独自のジャンルを考える上においても、彼らのキャリアは格好のモデルケースなのだ。

復刻盤の解説を手がけた安田謙一氏も記しているが、アルバム『新盛り場ブルース』のジャケットは、75年にリリースされるPファンクの名盤、パーラメントの『マザーシップ・コネクション』のジャケットデザインを先取りしていた。

2016.02.03(水)
文・撮影=ヤング