世界を旅する女性トラベルライターが、これまでデジカメのメモリーの奥に眠らせたままだった小ネタをお蔵出しするのがこのコラム。敏腕の4人が、週替わりで登板します。
第58回は、芹澤和美さんが綴る、歴史の薫りに満ちたポルトガル紀行。
世界遺産にも登録された歴史の街エヴォラ
アレンテージョとは、ポルトガル語で「テージョ川の彼方」という意味。その名のとおり、首都リスボンからテージョ川を挟み、スペインとの国境にいたるまでの中南部一帯が、アレンテージョ地方だ。
エヴォラは、ローマ帝国時代から続くアレンテージョ地方の中心都市。旧市街には、さまざまな時代、様式の建物が良好な状態で保存され、一帯は「エヴォラ歴史地区」として、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。
エヴォラの街は、長い歴史の変遷そのもの。1世紀にローマ人が建てたローマ神殿、8世紀以降のイスラム支配下で造られた城門とムーア人街跡、15世紀のキリスト教会や修道院、16世紀にヴァスコ・ダ・ガマが暮らした邸宅などなど、異なる時代の建造物が、いたるところに残されているのだ。
数々の歴史建造物の中で、私が心を奪われたのは、12~13世紀に建てられた「エヴォラ大聖堂」。ここは、1584年(天正12年)、天正遣欧少年使節の少年4人がミサを受けた場所でもある。今も現役で使われているパイプオルガンは、そのうちの伊東マンショと千々石ミゲルが弾き、喝采を浴びたと伝わるもの。
極東の日本・長崎を発った少年たちが、マカオやマラッカ(マレーシア)を経て、アフリカ南端の喜望峰を回りここにいたるまでには、想像を絶する困難があったはず。20歳にも満たないうら若き少年が、長旅を経て、ここで奏でた音楽で異国の人たちを驚かせたと思うと、胸がジンと熱くなってしまうのだ。彼らが帰国後にたどったキリスト教禁教令下の過酷な運命を考えると、なおのこと、切ない思いがこみ上げてくる。
2014.11.04(火)
文・撮影=芹澤和美