芥川賞作家・川上未映子さんの新刊『きみは赤ちゃん』(文藝春秋刊)は、自らの体験を活写し、そこから得た知識、教訓、反省、そしてノウハウが満載の育児エッセイです。
CREA WEBでは、この刊行を記念して、読者のみなさんから、出産・育児に関するお悩みを大募集。数多くの投稿が寄せられました。
最終回となる今回は、3人の方の質問に対し、川上さん自ら真摯にお答えします!
我々を苦しめるのは時間、助けてくれるのも時間
Q. 育児をしながら他のことに没頭できますか?
育児をしながら、家族をもちながら、集中すること、没頭すること、できますか?
集中したい、没頭したいと強く願えば願うほど、「じゃあなんで結婚したの?」「なんで子どもを産んだの?」「自分は結婚も出産も不適合者」だと自分を責めたりすることはないですか?
私は独身時代に写真を撮っていました。仕事としてではなく、生活のためでもなく、自由に立ち止まり、問うための、自分に必要な時間でした。その時間を得るために、日中は真っ当な会社員として働きました。そうやってずっと「生活すること(外とのつながり)」と「心(自分の内面とのつながり)」のバランスをとっていました。
結婚して、専業主婦になって5年が経ちました。
子どもも生まれました。もうすぐ2歳。かわいい盛りです。
働かなくても生活できる、恵まれた環境です。
でも、苦しいです。ずっと息苦しい。
一人の時間が欲しくて、でもほんのちょっとした時間ができると、ピンと張った糸が緩んで涙が勝手に出てきます。
集中したい。没頭したい。
家族がいながらもそう願うのは、ただのわがままでしょうか。
まわりには「時間ができたときに」とか「ちょっとしたスキマ時間に」とか簡単に言われるけれど、その切り替えを上手くすること自体が下手で、本当に難しくて苦しい。
一度集中すると周りが見えなくなるし、体がダウンするまで没頭してしまう。独身時代から主人はそれを知っていて、いつも心配してくれていました。家族になったことで、余計な心配をかけないように……と思い踏みとどまりながらも、非生産的である自分の素直な欲求に罪悪感を感じてしまいます。
母親として「子どもに安心感を与えてあげたい」と、子ども優先の毎日を送りながら、どこかで「いつか、できない理由を子どものせいにするのではないか」「無理をしてよい母であろうとしていると子どもも気づくだろう」と不安になったりもします。だったら、周りにわがままと言われても、自分が安定していられる状態を優先させて、ちゃんと結果を出すことが大切なのではないかと。そのほうが、小さいときはわからなくても、大きくなったら理解してもらえるのではないか……と思ったり。
質問が取り留めなく、ごめんなさい。
女性であること、つくり手であること、母であることのバランスがとれずに、苦しいです。未映子さんは、苦しくなること、ないですか?(トト/37歳・主婦)
A. ちょっとでもいいから、自分の時間をつくって
わたしも日々、トトさんと同じようなことを考えて生活しているように思います。
子どもと出会えたことは自分の人生における空前絶後&最高の衝撃&嗚咽するほどの幸せであったと断言できるのに、ふと「しかし、出産を選ばなかったわたしの人生とは、いったいどんなんやったかいな……」と、本当によく考えてしまうのです。考えたってしょうがないのにもかかわらず。
そんなことが頭をよぎるのは、やはり自分の仕事について思うときで、「長編、2本は書けたよな」とか、「もっと技術、あげられたよな」なんて、けっこうくよくよ「たられば」を行ったり来たりしています。とくに、切羽詰まった状況の中で子どもが言うことをきいてくれないときや、集中したいのにそれが許されないとき、あと疲労がピークに達したときなどは気持ちもどよんと暗くなって、本当に落ち込みますよね。
トトさんはこんなふうに感じることを「わがままだろうか」と問うていますが、わがままなはずがありません。人にこぼせば愚痴だと受け止められるかもしれませんが(それでもいいけど)、ひとりで思い悩んでいることじたいは、わがままではありません。だって仕事(創作)をする喜びと、子どもをもつことの喜びは、まったくべつのことだからです。おまけに何もかもが初めての状況。子どもが生まれてまだ2年ですよ。40年近く生きてきたこれまでの生活の常識をこんな短い時間、しかも出産を終えて体もぼろぼろ&ホルモン崩壊とかで頭がおかしくなってたりもする期間の中で、そんなんきれいに変えられるはずがないじゃないですか。それこそ母性神話ですよ。ふつうに考えて、だらだらぐずぐず色々あれこれ悩むに決まってます。
ときどき、というか、女性誌で働くママについての特集などが組まれると、「わたしは何もあきらめない」とか「万能ママ&スーパーママ」的なキラキラした文字が目に入りますが、そしてそれが嘘だとは言いませんが、個人的な実感からいうと、何もあきらめないのなんて無理です。まあ、「あきらめ」の概念を変えて、たとえば「以前より質のいい仕事を選択している」みたいな感じにすれば、たしかに何もあきらめていないということにすることもできるけれど、いずれにせよ、仕事の効率はかくじつに下がっています。だって子育てが加わることによってこれまで自分の使えた時間がなくなるのは事実だもの。根性ではどうにもならない、これはたんてきな事実です。そう、時間がないんですよね。本当に時間がないの。
でも、仮に自分の思うままに思いっきり仕事(創作)に集中できる環境ができたとしても、まだ小さな子どもがいる限り(とくに文章からお見受けするトトさんのようなタイプの方は)何かしらの疑問やとまどいは感じつづけるのではないかしら。そう、どっちにしたって、迷うし、苦しむのです。真面目なのです。
しかし、我々を苦しめるのが時間であるなら、助けてくれるのも時間です。
ひとつ、具体的なことを決めましょう。とにかく、ちょっとでもいいから自分のための時間をつくること。
とはいえ専業主婦でいらっしゃるので、ひとりの時間を見つけるのは至難の業だと思います。けれど、夫君と相談して、なんとかその時間をつくってみてください。「時間ができたときに何かをする」のと、「自分のためにつくった時間のなかで何かをする」というのは、まったくちがうことだと思います。気持ちの切り替えがうまくゆかなくて、じっさいには創作の作業ができなくても、ひとりで何かを思うだけでも、そこではまったくちがう風が吹きますよ。その風の感触を定期的に味わうことが今はとても大切だと思います。気持ちの切り替えや新しい創作のスタイルを探すのは、まずはその時間を作ってから。週に一度でも、長くなくていいから、ひとりきりの時間を作ってみてくださいね。ご自身を責める必要はまったくありませんよ。働いてるお母さんは、多かれ少なかれ、みんな激しく迷いながらだと思います(実感)! あまり張りつめすぎず、お互いに、がんばりましょうね!
» 『きみは赤ちゃん』の内容を立ち読みする(本の話WEBへリンク)
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2014.09.06(土)