女性を買い、無銭乗車も…“無法地帯”な沖縄

 「沖縄はテーマパークだった」。映画の中で、アレンの口から語られる沖縄の記憶には背筋が凍ります。沖縄本島のキャンプ・ハンセンなどで訓練を受けた兵士たちは、週末になると基地の外の歓楽街へと解き放たれました。

 そこは米兵にとって、法も秩序も存在しない無法地帯でした。夜の街で女性を買い、無銭乗車をし、文句を言う地元の運転手を殴り倒す。彼らが本国で受けてきた差別や暴力を、今度はより立場が弱い沖縄の人々へと反転させ、鬱憤を晴らしているかのようでした。

 当時、基地の街として栄えたコザ周辺では、米軍内に残る人種分離が顕在化していました。白人兵の街から遠ざけられた照屋地区には、粗末な木造バラックと英語のネオンがひしめき合い、「黒人街」と呼ばれる歓楽街が形成されていきます。

 そこは差別から逃れてきた黒人兵にとって唯一の安息所であり、同時に孤独と暴力が渦巻く吹きだまりでした。

暴力、差別。搾取される女性たち

 この街が孕んでいた過酷な現実を読み解くための“補助線”として触れておきたいのが、BSスペシャルで放送されたドキュメンタリー『母が生きた街~沖縄・照屋のおんなたち~』です。かつて沖縄で何者かに命を奪われた母の足跡を辿るため、アメリカ在住の娘が沖縄市照屋を訪ねるもので、まさにアレンたちが闊歩していた、あの「黒人街」のもうひとつの姿が映し出されています。

 そこで突きつけられるのは、米兵たちの相手をさせられていた女性たちの過酷な生き様です。本土復帰前の沖縄において、八重山や宮古などの離島、あるいは本島北部の山原(やんばる)といった農村部には現金収入を得る手立てがほとんどなく、家族を飢えさせないため、身一つで基地の街へと流れ着かざるを得なかった女性たちが数多くいました。

 本国で差別されていた黒人兵の孤独や傷を癒やす場所で、さらに社会の最も周縁に追いやられていた島の女性たちが暴力と差別の標的にされていく。

 名もなき彼女たちがどんな恐怖と隣り合わせに生き、理不尽な暴力によって命を落としていったのか。映画が描く兵士の裏側には、この幾重にも重なる搾取の現実がありました。

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